大河ドラマ「真田丸」と相模原
-さがみはらも来た真田氏やゆかりのある登場人物-
現在、NHK大河ドラマで放映中の「真田丸」。ご覧になっている方も多いと思います。 さて、その真田丸と関係ある人物やゆかりの地が相模原にも実はあるのです。しかも何人もいますので、今回紹介させていただきたいと思います。
1.草刈正雄さん演じる真田昌幸(主人公信繁【幸村】の父)兄弟
真田丸の中の話より時代は少し遡りますが、永禄12年(1569)に、武田信玄が小田原の北条氏の本拠を攻撃する一環として、八王子の滝山城を攻めた後、相模原市域を通って相模川を渡り、小田原へ向かっています。その際、戦勝を祝って植えたと伝えられているのが南区下溝にある「さいかちの木」です。
さて、この時武田軍に従軍していたのが若き日の真田昌幸です。真田昌幸は、この時は真田家の三男のため他家を継ぐため武藤喜兵衛(むとうきへい)と称していました。昌幸は、小田原攻めの帰路に行われた激戦三増峠(みませとうげ)の戦い(愛川町)で、信玄の旗本として武田の重臣馬場信春(ばばのぶはる)隊に加わり活躍していることが『甲陽軍鑑』(こうようぐんかん)に記されています。このことから、真田昌幸も小田原攻めに向かう軍勢の一員として、相模原市域を通っていたと考えられます。
なお、この時に真田昌幸の長兄 信綱(のぶつな)と次兄 昌輝(まさてる)も参加しており、この2人の名は武田の重臣山県昌景(やまがたまさかげ)とともに相模川を越える軍勢の中に登場します。その後、この2人は長篠の戦いで戦死し、真田昌幸が真田家を継ぐことになりました。
2.藤岡弘、さん演じる本多忠勝(主人公信繁の兄 信幸【のち信之】の岳父)
徳川家康の四天王の一人で武勇の誉れ高い人物として登場している本多忠勝(ほんだただかつ)ですが、この人物も相模原に来たゆかりある武将です。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原城攻めにおいて、徳川勢が本市の津久井城を攻め、そして開城させているのですが、本多忠勝の名は、6月25日に津久井城を請け取る武将の1人として登場します。
津久井城は小田原の北条氏にとって甲斐方面に備える重要な城で、城主内藤氏が津久井衆の筆頭としてこの拠点を治めていました。小田原城が包囲され、関東の北条氏の城が次々に落城・開城する中、津久井城は持ちこたえ、岩付城、鉢形城、八王子城、忍城とともに秀吉が早く落とせと命じた5つの城としても史料に登場します。
残念ながら今回津久井城が大河ドラマに登場することはありませんでしたが、津久井城にも中世の終焉を象徴するドラマがあったことでしょう。
3.小田原北条氏の重臣として度々登場した板部岡江雪斎
小田原攻めにおいて、北条方の重臣、とりわけ外務大臣のような存在として度々登場していたのが、山西惇さんが演じた板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)という人物です。実はこの人物のお墓が相模原にあるのです。なぜか・・・
名前からして本来は僧侶なのですが、ドラマどおり(脚色はかなりあると思いますが)外交僧として活躍した人物です。板部岡江雪斎は、外交交渉の縁でその能力を買われたためか、豊臣秀吉のそば近くに仕えることとなりました。そして、秀吉から与えられた姓が岡野姓です。
岡野氏は、江戸時代初期に江雪斎の次男房次の子である英明が、旗本として淵野辺村の領主の1人となります。そして、以後幕末まで淵野辺村を治めていたため、歴代の墓が中央区東淵野辺の龍像寺にあり、その中の一基が江雪斎の墓と伝えられています。なお、旗本の歴代の墓が残る貴重な場所として、岡野氏墓地は市の指定史跡になっています。
今回は、相模原と大河ドラマ「真田丸」のゆかりある人物、場所などを紹介させていただきました。皆さまも一度足をはこんでみてください。今回のお話をご存知だった方も多いと思いますが、驚き、そして感動?していただいた方もいたと思います。こうしたエピソードをきっかけに、皆さまに少しでも郷土への愛着を深めてもらえれば幸いです。
(歴史担当学芸員 木村弘樹)