市史ミニ展示「昭和初期の串川村絵はがき」
「津久井郡串川村絵はがき」は津久井町史の編さんのための資料収集により発見されたものです。大正〜昭和ごろの串川の風景が写真20枚一組の絵はがきとして作製されました。現在とは異なる串川の景観をぜひご覧ください。
【開催期間】3月13日(日)~5月22日(日)
【開催場所】博物館常設展示内
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令和6年度の博物館実習について、以下のとおりお知らせします。
1 受入分野・定員
人文系:考古・歴史・民俗・自然 自然系:生物・地質・天文
各分野3名程度 合計18名程度(選考による)。
2 実習期間
共通実習3日間:令和6年8月6日(火)〜8日(木)
受入分野別実習6日間:9月末まで実施(各分野により日程は異なる)
合計9日間
3 対象者
以下の「博物館実習申込要領」を参照。
4 申込方法・期間
申込方法は以下の「博物館実習申込要領」を参照。
期間:令和6年3月1日(金)〜3月15日(金)期間内必着
※申込者について、面接による選考を行います。
5 面接日時
令和6年4月4日(木)午前10時から午後4時(予定)
※選考結果は申込者本人へ文書にてお知らせします。
6 申込関係書類
7 郵送・問い合わせ先
〒252-0221 神奈川県相模原市中央区高根3−1−15
相模原市立博物館 学芸班 長澤有史
Tel:042−750−8030 Fax:042−750−8061
メールアドレス:n.nagasawa.hi@city.sagamihara.kanagawa.jp
1921年(大正10)に開通した相模線は、今年9月28日に開業から100年を迎えます。また、1931年(昭和6)に相模線が相模原市域に延伸して90年、1991年(平成3)にディーゼルから電化され30年の節目でもあります。そこで、このたび博物館と市交通政策課と協働で、相模線に関するミニ展示を開催いたします。
休館日:8/30のみ
会 場:相模原市立博物館 エントランス
展示内容:
・博物館資料…「祝 相模線開通の歌」歌詞(昭和6年【1931】頃)、「茅ヶ崎海岸海水浴への相模線利用案内チラシ」(年不詳)
・相模線古写真(提供:JR東日本、村田孝氏)
・相模線市内7駅舎のスケッチ展示「思い出の駅舎めぐり 吉川啓二のスケッチより」(協力:相模原市民ギャラリー)
・現在の相模線写真「走れ!ブルーラインに夢乗せて 乗って夢みて楽しもう 205系ラストランへ」(協力:写鉄さがみはら)
観覧無料
その他
・新型コロナウィルスの影響により、休館、展示期間・内容の変更の可能性があります。
市内の縄文文化が栄えたおよそ4,000〜5000年前は、急激な人口変化が起こった変化の時代でした。当時の土器、石器、集落の様子などを紹介し、時代が変化する中で力強く生きた縄文人の姿を探ります。ぜひご覧ください。
期 間:令和3年4月1日(木)〜令和3年5月9日(日)
開館時間:午前9時30分〜午後5時
休 館 日:毎週月曜日(祝日を除く。)4月30日(金)、5月6日(木)
場 所:相模原市立博物館 特別展示室 観覧無料
忘れ物及び落し物について
相模原市立博物館の敷地内(館内・駐車場を含む)で忘れ物・落し物をされた方は受付までお申し出ください。
受付でお預かりしていた場合は、確認票に氏名・住所等を記載していただき、返却します。その際、本人確認のため、遺失物の特徴や本人確認書類の提示等を求める場合がありますので、ご了承ください。
保管期間は以下のとおりです。
所有者が判明していても判明していなくても、保管期間が経過したものは処分させていただきますのでご了承ください。
なお、遠方からお越しの場合等受け取りに来ることが困難な場合は、着払いで郵送することも可能です。受付へご相談ください。
また、落し物に連絡先等が記載されている場合は、博物館より連絡させていただくこともありますので合わせてご了承ください。
保管期間
現金(財布を含む)・ICカードなど | 翌日に警察へ届ける |
保管可能なもの(衣類・筆記用具・現金の入っていない財布・傘等) | 翌月に警察へ届ける |
生ものや衛生上の問題があるもの | 2~3日後廃棄処分とする。 |
危険物・不審物(返還に応じない) | 当日に警察へ届ける |
市民とともに歩む博物館の姿勢を体現するイベント、それが「学びの収穫祭」です。毎年博物館の開館記念日である11月20日に近い週末の二日間、博物館を拠点に活動するボランティアグループや、学芸員が活動に関わる学校の部活動や大学の学生研究などさまざまな市民が研究や活動の発表を行います。今年は11月21日(土)と22日(日)の二日間にわたって実施しました。
このように書くとちょっとお堅い感じがしますが、けっしてそんなことはありません。分野が異なっても、さまざまな切り口から郷土のことや興味のあることを探求する楽しさ、充実感はお互いに伝わるものです。発表者どうしが心から楽しんでディスカッションし、情報交換の場としてこの収穫祭を活用しています。
発表には、口頭発表と展示発表の2形態があります。口頭発表は、一度にたくさんの方へ説明することができますし、たくさんの図や写真を順序立ててお見せすることができます。そのため、新たな発見を伴うものや、一般にあまりなじみの無いテーマについて紹介を含めて発表したり、活動のようすを報告したりするのに向いています。
口頭発表会のようす(11月21日)
展示発表のようす(11月21日)
発表の前でのディスカッション(11月21日)
それに対して展示発表は、発表者とそれを聞く人が対面しながらディスカッションを進めることができます。調査研究の途上の中間発表であったり、ちょっと込み入った説明を要するような発表に適しています。展示発表では、実物展示も含めることができます。今回の発表でも、和服などの実物や剥製資料も並びました。
今年の「学びの収穫祭」には22のグループや学校が参加しました。特に、博物館のご近所さんである県立弥栄高等学校サイエンス部のみなさんをはじめ、学校の部活動からの参加はこの収穫祭の最大の特色と言えるでしょう。文化系の部活動、特にフィールドワークを伴うような活動がしにくくなっている状況があり、博物館としてはそうした活動を盛り上げていきたいと考えています。校外での発表の場、他校との交流の場を一つでも増やすことをこの収穫祭の目的と位置づけています。
発表者のための情報交換会(11月21日)
その試みの一環として、学校の発表を集中させている1日目の11月21日の口頭発表会終了後、情報交換会を開きました。この会には一つのルールがあります。それは、「同じ所属の人どうしが隣り合わせにならないこと」です。こうして専門のこと、学校のこと、進路のことなど話し合う中でほんとうの交流の芽が育ちます。
発表者で記念撮影(11月21日)
学びの収穫祭という2日間のイベントは、いまやボランティアグループのみなさんにとっても活動の大きな節目となっています。成果の発表の場だけでなく、世代や所属を超えて市民が交流する場として機能するイベントとしてこれからも大きく育てていきたいと考えています。
(生物担当学芸員 秋山幸也)
平成27年度 学びの収穫祭 発表団体
【学校関係】
あざおね社中
麻布大学野生動物学研究室
海老名市立海老名中学校科学部
桜美林大学植物分類研究室
神奈川県立相模原青陵高等学校地球惑星科学部
神奈川県立弥栄高等学校サイエンス部
光明学園相模原高等学校理科研究部
横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校
【一般団体】
相模原市自然環境観察員
相模原市立相模台公民館文化部+「まち歩きマップ」制作委員会
相武台のナベトロ遺跡をたどる会
町田ムササビ保全研究グループ
【博物館のボランティアグループ】
相模原縄文研究会
相模原植物調査会
相模原市立博物館天文クラブ
相模原地質研究会
相模原動物標本クラブ
市民学芸員
水曜会
福の会
民俗調査会A
民俗調査会B
博物館は平成7年11月に開館し、今年で20周年を迎えました。この間、延べ255万人以上の入館者の皆様をお迎えし(今年10月末までの数値です)、多くの活動を行ってきました。博物館の活動にはさまざまなものがありますが、その中でも展示はもっともイメージしやすいものと言えます。展示には期間を区切って行う企画展や特別展と、通常は変更がない(もちろん部分的には変わっていることも多いのですが)常設展示があり、当館の場合は、天文の常設展示室と自然・人文系の資料が展示されている自然・歴史展示室とに分かれています。
№1展示作業も市民の手によって行われた。鍬の固定具を外すのは大変だった
№2パネルの取り付けももちろん大切な作業である
自然・歴史展示室は「台地の生いたち」「郷土の歴史」「くらしの姿」「人の自然のかかわり」「地域の変貌」の五つのテーマに分かれており、それぞれ関連する資料や解説等によって構成されています。このうち、三テーマ「くらしの姿」では、かつての生業の中心であった畑作や養蚕で用いられていた農具を手がかりとして、地域の生活のあり方を考える内容になっています。その中ではヘラグワと呼ばれる古くから使われていた鍬や、麦や豆等を叩いて脱穀するクルリボウについて、市内や周辺地域で形態や特徴が異なることに注目し、多くの実物資料を展示することで具体的にその違いを示していました。そして、このような内容としたために、例えば町田や大和など、周辺地域で特徴的な資料について館蔵のものがなく、いくつかの博物館や資料館等から資料をお借りして展示をしてきました。
№3物置内部には、今回は肥料作りの資料を展示した
№4地域による鍬(ヘラグワ)の形態差を示す旧展示。多くの鍬が並んでいた
今回、「くらしの姿」の一部展示替えを行ったのは、長期に渡って借用してきたこうした資料をお返しすることがきっかけで、ただ返却して無くなったところにまた別の資料を差し替えるだけではなく、展示全体を見直して少し新しい内容を加えることにしました。展示の検討に当たっては、館とともにさまざまな活動を実施していただいている市民学芸員の有志の皆様と一年ほどかけて作業を行い、もちろん例えば展示室の構造など、いくつかの大きな制約がある中でしたが一応の完成をみることができました。
変更内容の概略は次のとおりです。
(1)移築した物置内部も展示スペースとして活用する。
(2)多くの鍬やクルリボウを展示していた部分を縮小して畑作に用いる別の農具も展示し、併せてそれらの農具の使用している状況の写真を加える。
(3)養蚕に製糸の道具を加え、さらに養蚕の信仰に係わる資料なども扱う。養蚕の工程と道具の使用写真も展示する。
№5新展示では、千歯や唐箕などの脱穀・調製の道具なども展示した
№6養蚕のマブシなどが展示されていた旧展示
展示内容の検討では、従来の展示全体や三テーマの構成はどうなっているのか、新しい展示として残す部分と変えるところをどうするのか、その展示の狙いは何か、具体的な展示資料の選定など、いろいろな面から市民とともに検討を積み上げていき、市民目線からの展示という面を重視しながら進めていきました。是非、来館の折りには新しい展示をご覧いただければと思います。
№7No.6と同じところには、養蚕に伴う信仰の資料などを展示している
常設展示の見直しについては、解説文をより分かり易くする、所々にクイズを設置して展示をさらに親しみ易くするなど、三テーマの展示替え以外についても市民学芸員有志の方々を中心に進められています。こうした点についても逐次紹介していきたいと思います(民俗担当 加藤隆志)。
※三テーマの詳しい展示替えの状況や具体的な変更点・内容等については、今年度刊行の『研究報告』で報告する予定です。
恒例の第8回目の「民俗探訪会」を11月11日(水)に実施しました。「民俗探訪会」は、当館の民俗分野の市民の会である民俗調査会Aの活動として5月と11月の第二水曜日(民俗調査会Aの定例の活動日)に行っているもので、今回は南区磯部地区を歩きました。民俗調査会では、以前に「相模原散策マップ」を作成して博物館のホームページにも掲載していますが、第1回目の民俗探訪会ではその南部ルートを歩き、今回はまだ活用していなかった北部ルートを資料にしました。なお、「相模原散策マップ」は、博物館ホームページの、リンク→発見のこみち→相模原散策マップ に掲載されています。
当日は、相模川越しに大山がきれいに見えた
いつものように「広報さがみはら」や博物館のホームページで会員以外の市民の皆様からの参加者を募集したところ20名の方からの応募があり、当日は民俗調査会の会員を含め総勢26名で約3時間のコースを歩きました。また、「相模原散策マップ」では当然ルートを設定していますが、今回は3時間程度で終了するという点と、地元で有名になっている「ざる菊」の花がきれいに咲き誇っている時期でもあり、このざる菊の会場も訪れることとしたため、ルート順を変更して実施しました。今回の主なコースは以下の通りです。
下溝駅・9時30分集合→大盛橋(石仏・道保川緑地)→磯部八幡宮→もんや稲荷(大山道・大山道標)→磯部頭首工(相模川左岸用水)→庚申塔群→旧中村家住宅→勝源寺→ 磯部ざる菊会場→史跡勝坂遺跡公園(有鹿神社)→下溝駅・午後12時30分解散
国登録有形文化財の中村家住宅。全国的にも珍しいとされる幕末期の和洋折衷住宅に興味津々
きれいに咲き誇ったざる菊。こうした季節のイベントを訪れるのも楽しみの一つ
今回も担当学芸員である加藤がポイントごとに説明するとともに、調査会会員はコースの誘導や車への注意の呼びかけなどを行い、さまざまな点に配慮しながら進めていました。
勝坂遺跡段丘下の有鹿神社の湧水。今でも海老名の有鹿神社の神職や氏子が4月に訪れてここから水を汲む
少々足場は悪いが、有鹿神社の湧水は今回の大きな見所の一つ
民俗探訪会は、博物館と民俗調査会に参加する市民との協働の事業として定着しており、「通常の史跡巡りではなかなか行かない、普通は気がつきにくいものの地域にとっては重要で、博物館や地元の人が案内するから分かること」を重視しています。今回も、例えば国史跡の勝坂遺跡に行くものの、主な見学地としては遺跡の段丘下の有鹿神社と湧水というように、民俗探訪会らしい視点で実施しており、実際にそうした内容が好評で今後ともこの視点を大事にしていきたいと考えています。ご希望の方のご参加をお待ちしております。また、民俗調査会の活動にご関心を持たれ、一緒にやってみたいと思われた方も随時入会ができますので、博物館までお問い合わせください。
*これまでの民俗探訪会については、いずれも「ボランティアの窓」に記事を掲載しています(民俗担当 加藤隆志)。
今年で四年目を迎える第7回目の「民俗探訪会」を5月13日(水)に実施しました。「民俗探訪会」は、本館の民俗分野の市民の会である民俗調査会Aの活動として5月と11月の第二水曜日(民俗調査会Aの定例の活動日)に行っているもので、今回は南区上鶴間地区を歩きました。上鶴間地区は市内でも双体道祖神(一石に二神が並んで立っているもの)が多く分布するなど、特徴ある石仏が見られる地域で、今回の民俗探訪会でも~上鶴間地区の石仏を見る~として、石仏を中心にそのほかの神社等も加えながら歩いていきました。
いつものように「広報さがみはら」や博物館のホームページで会員以外の市民の皆様からの参加者を募集したところ、47名の方からの応募があり、野外を数時間歩くという安全性の観点から抽選となりました。当日は33名の参加者と会員7名で、相模大野駅から約3時間のコースを歩きました。前日には台風から変わった温帯低気圧が関東を通過するなど、天候が心配されましたが当日は雨どころか快晴で、むしろ熱さの方が大変な中を歩いていきました。今回のコースは次の通りです。
相模大野駅・9時30分集合→①蚕守稲荷神社→②山王神社→③双体道祖神(二基)→④地蔵坂の地蔵→⑤金山神社→⑥惣吉稲荷→⑦長嶋神社→⑧旧鶴金橋・境川の旧河道→上鶴間高校入口バス停・12時45分頃解散
調査会の会員も時には手持ちの資料を元に説明した
地域の中にはさまざまな石仏が残されている
三猿が彫られた台座の上に乗る丸彫りの地蔵。首がないのが残念だが、注目される庚申塔の例として、武田久吉著『路傍の石仏』の中で紹介されている。
今回も担当学芸員である加藤がポイントごとに説明するとともに、特に地元在住で文化財保護課の文化財普及員も務めている調査会の会員も各所でさまざまなお話しをしました。また、全体で40名以上が歩くために、調査会会員はコースの誘導や車への注意を呼びかけるなど、安全で楽しめる探訪会になるように充分配慮しながら進めていました。
境川は河川改修によって真っ直ぐな流れに変わっているが、所々にかつてその流れが曲がりくねっていたことを示す旧河道が残っている。
境川の旧河道に架かる古い方の鶴金橋。昭和8年(1933)竣工で、竣工年が分かる境川の現存する橋の中でもっとも古いものという。
民俗探訪会は、博物館と民俗調査会に参加する市民との協働の事業として定着しており、「通常の史跡巡りではなかなか行かない、普通は気がつきにくいものの地域にとっては重要で、博物館や地元の人が案内するから分かること」を重視しながら実施しています。今回も、普段、散歩などでよく歩いている所だが説明されたことは全く知らなかった、ここに神社があるのはわかっていたが行ったことがなかったので案内してもらって良かったなどの声をいただきました。民俗探訪会ではこうした内容がいつも好評で、今後ともこの視点を大事にして実施していきたいと考えています。ご希望の方のご参加をお待ちしております。また、民俗調査会の活動にご関心を持たれ、一緒にやってみたいと思われた方も随時入会ができますので、博物館までお問い合わせください。
*これまでの民俗探訪会については、いずれも「ボランティアの窓」に記事を掲載しています(民俗担当 加藤隆志)。
今年の紅葉はパッとしないと、あちこちで言われています。博物館駐車場のイロハモミジも、写真のようにしっかり色づかないまま枝に残るか、早めに落葉しているものが多いようです。
鈍く紅葉するイロハモミジ
紅葉は、光合成と密接な関係にある現象です。紅葉の主役である葉は、光合成の工場と表現できます。実際にその仕事をしている機械が、光合成色素です。この機械は、太陽光を動力エネルギーとして、水と二酸化炭素を原料に糖分(ブドウ糖)を生産します。そして、その副産物は酸素です。この機械は、気温が低いと稼働効率が下がるという特徴があります。
気温が下がって光合成の効率が悪くなり、エネルギーである太陽光が供給される時間も短くなってくると、工場の採算が合わなくなります。まして、機械もしだいに老朽化します。そうなると、工場を経営している木としては工場閉鎖の判断をします。ただ、使っていた機械をそのまま廃棄してしまうのはもったいないため、分解して来年の春の新工場開設の準備などに使えるよう、閉鎖前に葉から新芽や貯蔵倉庫である根へと移動しておきます。工場のイメージカラーでもあった光合成色素の緑色がここでなくなります。
さらに光合成によって生成されたブドウ糖も、ほとんどは新しい枝葉を伸ばすための原料として使われるため、葉から移動済みなのですが、どうしても工場のあちこちに残ります。これはそのままにしておくと、赤い色素に変化する性質があります。以上が、紅葉のしくみです。
紅葉が美しくなる条件は、朝晩冷え込んで、しかも日中はお天気が良いことです。ここから先は想像です。晩秋にお天気がよく日中は気温が上がるのに、朝晩冷え込むと、木が工場閉鎖のタイミングを計りかねるのではないでしょうか。日中は晴天の勢いで機械をフルに回転させているまま朝晩の冷え込みがいよいよ厳しくなると、木が強制的に工場を閉鎖にかかります。そうなると、余剰生産物が工場に残されたまま物質の流れが止まり、たくさんの糖分が工場(葉)で赤い色素に変化する。そんなストーリーが考えられます。
紅葉の色づきがいまひとつと言われる今年の秋は、確かに冷え込みが緩く日照時間が短かったようなので、木が工場の老朽化に任せるまま順当に閉鎖準備を進めて、余剰生産物もあまり出さなかったのかもしれません。ちなみに、事業所を閉鎖することを「シャッターを下ろす」と表現することがありますが、光合成工場の閉鎖、つまり落葉するときは、なんと葉の付け根に「離層」というシャッターのようなものが形成されてぽろりと葉を落とします。
美しかった去年の紅葉(平成26年11月30日 中央区高根)
同じ場所の今年のようす(平成27年12月5日 中央区高根)
さて、紅葉がいまひとつ、なんて言われている年でも、落胆することはありません。地面の上を見ればしっかり紅葉した葉を見ることができます。地面に落ちてから色づく葉もありますし、遠目に見て枝についた葉の紅葉はあまり見栄えがしなくても、落葉の色合いのすばらしさに目を奪われることがあります。さまざまな色のグラデーションや、枝上では感じなかった渋い赤茶色の魅力など、見どころはたくさんあります。
絶妙なグラデーションのサクラの落ち葉
目が覚めるようなイロハモミジの落ち葉
ちょっと不思議なのは、落ち葉の紅葉の風景がとてもすばらしいと思って、その葉を拾って机の上に広げたりしても、美しさがぜんぜん再現できないことです。地面に落ちたままランダムに広がった偶然の妙が美しさを際立たせているのかもしれません。
(生物担当学芸員 秋山幸也)
平成27年7月下旬、県の丹沢大山自然再生委員会の現地調査会に参加して、丹沢山地の檜洞丸(1601m)へ登ってきました。この委員会は、1980年代から顕著になってきた丹沢の自然環境の荒廃と衰退を食い止めようと行われている丹沢大山自然環境総合調査(平成5~9年、平成16年~18年)をもとに策定された「丹沢大山自然再生基本構想」に基づき平成18年に設置されました。
調査部会部員と登山道を行く
メンバーは大学など研究機関の研究者、NPO、行政、マスコミ、民間企業など、そして県民によって構成されています。私はその委員会の中の調査部会に入っているのですが、さまざまな専門や立場のみなさんとの登山はほんとうに勉強になります。真夏の厳しいコンディションでの登山でしたが、流した汗に見合う有意義な調査行となりました。
ルートは県立西丹沢自然教室から東沢へ入ってツツジ新道へとりかかり、丹沢主稜の尾根に出て檜洞丸山頂を目指すシンプルなものです。しかし、私自身はこれまで相模原市域のいわゆる裏丹沢を中心に歩いてきたため、表丹沢にあたるツツジ新道は初めて登りました。西丹沢はヤマビルが非常に少なく、この小さな吸血鬼の心配をせずに丹沢を登るのはひさしぶりのことです。
枯死した林床のスズタケ群落
尾根に近づきブナが目立ってきた頃、ふと林床を見るとなにか物足りません。丹沢のブナ林は林床をスズダケやミヤマクマザサが覆うというのが本来の姿です。しかし、昨年あたりからスズダケの一斉開花が見られています。ササであるスズダケは、一生に一度だけ開花し、その後すぐに枯れます。さらに、スズダケの群落は一帯が地下茎でつながっているので、実質的に目に見える範囲くらいの株がじつは1個体です。数十年に一度と言われる一斉開花の後に枯死している、今がちょうどそのタイミングというわけです。
もちろん、丹沢の長い歴史の中でそんなことは幾度となく起きてきました。しかし、シカによる食害をはじめ、さまざまな理由から丹沢の植生は衰退の途上にあります。そのほかの複合的なダメージ要因がこの枯死に対してどの程度影響があるのか、丹沢再生委員会でも注視していかなくてはなりません。そんなことも、この現地調査会の大きな目的です。
立ちがれた稜線上のブナ
ブナハバチに食べられたブナの葉
林内に咲いていたタマガワホトトギス
ウスユキソウ
さらに進んで標高1500mに近づくと、ブナの立ち枯れが目立ちます。これも要因は複合的と言われていますが、直接的に影響を及ぼしているものの一つがブナハバチの幼虫による食害です。これまで、7~10年くらいの間隔で大発生してブナの葉を食べつくしていたブナハバチですが、ここ最近は3年ごとの大発生が見られているそうです。そうなると、ブナも樹勢を保つのが難しくなり、気象条件や大気環境などの追い打ちを受けて枯死してしまう株もあるようです。
神奈川県も手をこまねいて見ているだけではありません。ブナハバチに効果の高い薬剤注入によって被害を食い止められるという研究成果も上がっているようで、コストや労力との兼ね合いを見極めながら対策を進めています。
檜洞丸山頂(1601m)
さまざまな問題を抱える丹沢ですが、それでも山そのもののすばらしさ、潜在的な自然の価値は変わりません。真夏はハイカーがもっと高標高の山岳地帯を目指すためか、ほとんど登山者に会いませんでしたが、そのぶん気持ちよく山歩きができました。相模原市ではまだ、丹沢を自分たちの自然環境の問題と自覚しはじめて日が浅いのですが、この雄大な自然環境を誇りとして、積極的に丹沢の再生に関わっていきたいと思いながら下山しました。(生物担当学芸員 秋山幸也)
生きものの名前には、色にまつわるものがとても多くあります。先日立ち寄った相模川の河原にいると、目の前をせわしなく小鳥が行き来しています。
セグロセキレイです。この写真ではあまりわかりませんが、名前の通り背中が黒い。直後、別のセキレイが飛んできました。
こんどはハクセキレイです。 あれ?名前はハク(白)なのに、あんまり白くありません。セグロセキレイとよく似ています。何がハクなのかというと、あえて言えば顔が白いということでしょうか。
ハクセキレイは羽色に個体差の大きい鳥で、別の個体が飛んだところの写真です。
まあ、ハクセキレイという名も納得できる感じもします。 そもそも生きものの名前って人間が便宜的に付けているから、結構適当なのかな・・?
アオサギです。ぜんぜん青くない。あえて言えば、青灰色というところでしょうか。ただし、やまと言葉では「あお」は白から黒にかけて広く寒色系の色全体を指すようなので、間違いではありません。むしろ、正確に色を表していると言えるでしょう。 そういえばアオダイショウも青くなくて、むしろ黄緑がかった灰色です。(抵抗のある方が多いと思うので、胴体のウロコだけの写真です)
これもおかしくありません。古語で青色は黄色味の入った萌葱(もえぎ)色を指す高貴な色名でもあります。 あれ?結構正確に名前が付けられていますね。むしろ色の認識や定義が時代によって変化しているのかもしれません。一般的に、最近つけられた種名の方が色については単純化される傾向があります。日本には古くから自然の色について数えきれないくらいたくさんの微妙な色名があります。機会があれば、こうした古くから知られている生きものの名前と色について見直してみたいと思っています。(生物担当学芸員 秋山幸也)