相模原市立博物館
  • Home
  • イベント
    • イベント
    • 企画展・ミニ展示
    • 講座・講演会等
    • 星空観望会(休止中)
    • 生きものミニサロン
    • イベントニュース
    • 過去の企画展
  • プラネタリウム
    • プラネタリウム
    • 番組紹介
    • 投影・上映スケジュール
    • 団体専用枠用プラネタリウム番組紹介
    • 今月の星空
  • ご利用案内
    • ご利用案内
    • 開館時間・入館料
    • アクセス
    • 団体でのご利用
      • 小学校・中学校
      • 幼稚園・保育園
      • 各種予約受付日早見表
    • 忘れ物及び落し物・その他お問い合わせについて
    • 博物館までの案内看板をたどろう!
  • 博物館の概要
    • 博物館概要
    • 刊行物
      • 図録・研究報告など
      • 年報
      • 市史刊行物
    • 博物館協議会
  • 施設と展示
    • 施設案内
    • 常設展示
      • 1台地の生い立ち
      • 2郷土の歴史
      • 3くらしの姿
      • 4人と自然のかかわり
      • 5地域の変貌
      • 天文展示室 宇宙とつながる
    • 天文研究室・市民研究室
    • ミュージアムショップ
  • リンク
    • リンク
    • ネットで楽しむ博物館
    • どこでも博物館
    • 博物館の窓
    • 発見のこみち
    • 学芸員出前講座〜どこでも博物館〜
    • 相模原市立博物館の職員ブログ
    • プラネタリウムリンク
  • 所管施設
    • 所管施設
    • 尾崎咢堂記念館
    • 吉野宿ふじや
  • 博物館資料の利用について

Author Archives: admin

ボランティアの窓(平成23年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成23年度
  • 民俗調査会で「民俗探訪会」を行いました(平成24年3月)
  • 平塚市博物館の「博物館文化祭」発表会に出席しました(平成24年2月)
  • 市民学芸員の活動~盛況だった「繭うさぎ作り」(平成24年1月)
  • 「植物の日ワークショップ」を実施しました(平成23年12月)
  • 大きな収穫のあった「学びの収穫祭」(平成23年11月)
  • 川崎市市民ミュージアム視察(平成23年6月)
  • 鈴木重光関係資料の整理を進めています!(平成23年7月)
  • 標本レスキュー隊、立ち上がる(平成23年5月)
  • 市民学芸員
  • 市民ボランティア研修会を行いました。

民俗調査会で「民俗探訪会」を行いました(平成24年3月)

 現在、多くの市民の皆様が博物館の活動にボランティアとして関わっていただいており、民俗分野にも民俗調査会という市民の会があります。民俗調査会には毎月第二水曜日に活動する通称「民俗調査会A」と、同様に第四土曜日を活動日とする「民俗調査会B」があってそれぞれ20名以上の方が加わっていますが、さる平成24年3月14日(水)に調査会Aの活動の一環として新磯地区の「民俗探訪会」を行いました。

 調査会Aでは、平成23年度の活動の一つとして新磯地区の「散策マップ」を作ることをテーマに置き、実際に博物館の担当学芸員(この記事を書いている加藤です。)とともにフィールドワークを重ねてきました。マップは手軽に持ち運びできるA4サイズで表面に地図、裏面には見所の説明を載せたものとし、新磯地区は広いために、勝坂遺跡と相模川に沿って歩く北部ルートと鳩川の流れに沿った南部ルートの2コースを設定することにしました。

 神社や寺院・石仏など、地域に残るさまざまなものをすべて取り上げることは分量の関係からも当然不可能で、その中から何を選び出し、どのような説明を付けるか、相当に頭を悩ませました。また、両ルートともに半日程度で歩けるものとして、負担の少ないコース設定も考えなければなりませんし、地図化に当たっては例えばトイレの位置なども確認しなければなりません。 このようなことを頭に入れながら数回のフィールドワークを行い、いろいろな苦労や工夫を加えてようやく完成したもののうちの南部ルートを歩いたのが3月14日(水)の民俗探訪会です。

 マップ作成のためのフィールドワークはもちろん会員が歩いたものですが、民俗探訪会では「広報さがみはら」や博物館のホームページで会員以外の市民の皆様からの参加者を募集し、当日は平日の午前中にもかかわらず24名の方のご参加がありました。実際に南部ルートのマップを参加者に配布してそのコースを歩いていき、ポイントごとに学芸員のみならず、中心になって作成に当たった会員も説明をしました。そして、そのほかの会員も開始や終了の際の挨拶のほか、どうしても長くなる歩行の誘導や交通安全への配慮など、事故なくスムーズに進行できるように気を配り、歩いている途中には参加者に気軽に声を掛けるなど、和やかな雰囲気の中で探訪会を実施することができました。

会員で御嶽神社の氏子の方がお祭りの様子などを説明しました。 (御嶽神社にて)
会員で御嶽神社の氏子の方がお祭りの様子などを説明しました。
(御嶽神社にて)

新磯小学校の校庭の大楠 (学校には事前に了解を得て 校庭に入りました)
新磯小学校の校庭の大楠
(学校には事前に了解を得て
校庭に入りました)

最後の挨拶も会員の方の役目です。 「楽しかったですか。」という質問には参加者の方から手があがりました。
最後の挨拶も会員の方の役目です。
「楽しかったですか。」という質問には参加者の方から手があがりました。

探訪会終了後に記念撮影 写真右側に写っている旗は 会員の手作りです。
探訪会終了後に記念撮影
写真右側に写っている旗は
会員の手作りです。

 博物館を舞台に活躍するボランティアの皆様は実に多彩な活動を展開しており、民俗調査会でも市内外を積極的にフィールドワークして自分たちも楽しみつつ、会の活動を博物館の運営の中に生かしていくことを目指しています。今回の民俗探訪会もそうした試みの一つであり、今後も年に何回かは探訪会を実施することを計画しています。その都度、「広報さがみはら」や博物館ホームページなどで参加者を募集しますので、ご希望の方の応募をお待ちしております。さらに、民俗調査会の活動にご関心を持たれ、一緒にやってみたいと思われた方も随時、入会ができますので、詳細につきましてはお問い合わせください。(民俗担当 加藤隆志)。

 

*民俗調査会の方が作成したマップは、このホームページの「どこでも博物館→発見のこみち」から見ることができます。

*散策マップは印刷してお使いください。北部ルートと南部ルートのマップとともに、ポイントごとの補足の説明をしたものと、交通機関や掲載した施設、主なイベントなどを紹介した資料が掲載されています。なお、今回の散策マップに掲載した情報は平成24年(2012)3月段階のものであり、今後、変更される可能性があります。

*散策には、車など、交通安全にお気をつけてお歩きください。見学に際しては、管理者の方や近隣の皆様のご迷惑にならないよう、マナーには充分ご配慮いただきますようお願い致します。

 

平塚市博物館の「博物館文化祭」発表会に出席しました(平成24年2月)

 昨年の11月に盛大に行われた「学びの収穫祭」については、この「ボランティアの窓」の欄でも紹介されていますが、同じような催しが平塚市博物館でも行われています。ちなみに平塚市博物館では「博物館文化祭」(このタイトルは今回からで、これまでは「博物館まつり」)と称して開催しています。平塚市博物館は1976年5月に開館してすでに35年以上の実績を持ち、特に開館当初から市民とともにいろいろな活動を展開しており、その間、多くの成果を積み重ねてきた全国的にも有名な博物館の一つです。当館もまた平塚市博物館と同様に、市民の方々とさまざまな面において協働していくことを目指して活動をしており、実は「学びの収穫祭」も平塚市博物館の「博物館文化祭」に倣って実施しているものです。

平塚市博物館
平塚市博物館

博物館文化祭の看板
博物館文化祭の看板

特別展示室での 各サークルの展示
特別展示室での
各サークルの展示

 今年度の第13回「博物館文化祭」は2月4日から19日を会期とし、期間中は平塚市博物館の特別展示室において博物館に拠点を置く10の市民サークルが日ごろの活動実績や成果を展示しました。さらに、12日(日)の午後からはそのうちの6団体が口頭発表を行って、より具体的に自分たちのサークルの活動について紹介する発表会(別の日に実演を行った会もあります)があり、この発表会に当館の民俗調査会のメンバー10数名が出席させていただきました。

 発表会では、民俗調査会でも馴染み深い石仏や漁村の信仰に係わる内容のほか、古文書や平塚空襲をはじめ、水辺の生き物や星の撮影の仕方など、多彩な発表があり、会場一杯の聴衆の参加のもと、大変熱心な発表がなされました。何より長年、博物館を舞台として実りある活動を平塚市民の方々が着実に行われ、また、楽しんで活動されている様子がよく伝わりました。そして、発表会終了後には、平塚市博物館の各サークルの代表の皆様と当館の民俗調査会のメンバーの交流会があり、お互いの活動の状況や課題について若干の質疑応答や話し合いをするなど、これからの当館の民俗調査会をはじめとした活動を考えていくに際しても刺激的で非常に有意義なものとなりました。

屋上での太陽の観察会
屋上での太陽の観察会

発表会の様子 (民俗探訪会の発表)
発表会の様子
(民俗探訪会の発表)

発表会の休憩時間には 展示解説もありました
発表会の休憩時間には
展示解説もありました

 現在、多くの博物館では市民サークルが結成され、学芸員とともに多彩な活動を行っているものの、こうした情報はどうしても館の内部にとどまってしまい勝ちです。今後とも各館で行われている多くの取り組みを広く紹介していくとともに、それぞれの博物館での情報交換や交流を通じて、博物館と市民との協働をさらに強め、より良い活動を積み重ねて「市民とともに歩む博物館」として一層進んでいくことが求められます。当館としても、今回のような機会を通じて積極的に他の館及び市民の方々と交流をしていきたいと考えています。

 最後となりましたが、「博物館文化祭」に出席させていただいた平塚市博物館と、すばらしい発表をしていただいた市民サークルの皆様にお礼申し上げます。本当にありがとうございました(民俗担当 加藤隆志)。

*平塚市博物館のアドレスは、http://www.hirahaku.jp/ です。

 

市民学芸員の活動~盛況だった「繭うさぎ作り」(平成24年1月)

繭うさぎ
繭うさぎ

 さる1月29日(日)の午前10時から午後4時まで、博物館の地下・大会議室で「繭うさぎ作り」を実施しました。この事業は、参加された方々が蚕が作る繭を使ってうさぎの繭人形を作るもので、これまでもたくさんの繭の用意ができた時に行ってきました(ちなみに今回は、生物担当の学芸員が中心となって昨年飼った蚕が作った繭を使用しました)。毎回好評で、当日は繭の数の都合で先着200名の定員のところ、定員ギリギリの193名もの方にご参加いただきました。

 繭人形の中でも、うさぎは一個の繭で比較的簡単にできる(繭の一部を切ってそれで二つの耳と尾を作り、本体の繭に差し込む。そして、目と口なと゛をマジックインキで書き入れる)ものですが、それでも手順やカッターなどの刃物を使うために多少の危険が伴います。

 当館の繭うさぎ作りは、特に対象の年齢は設けずに、小さいお子様から高齢者までどなたでも楽しく作り、自分で作った繭うさぎは持ち帰ることができることにしているため、作り方を説明するほか、刃物などで手を切ったりしないように注意している人手が必要です。今回は、こうした指導や説明を市民学芸員が担当しました。

 当日は参加者はそれぞれ好きなようにうさぎを作り、みなさん大事そうにご自分の作った繭うさぎをお持ち帰りになりました。また、ご両親や祖父母が蚕や養蚕について子どもに一生懸命にお話している微笑ましい様子や、中には繭うさぎを作ることとは別に、市民学芸員とかつての養蚕の様子などをしばらく話し込む参加者などもいて、終始和やかな雰囲気で実施することができました。博物館では、今後とも市民学芸員と力を携えて、展示や教育普及などさまざまな活動を行っていきます(民俗担当 加藤隆志)。

参加者に教える市民学芸員 (黄色のジャンパーを着ています)
参加者に教える市民学芸員
(黄色のジャンパーを着ています)

できた繭うさぎを指にはめてみました
できた繭うさぎを指にはめてみました

 

「植物の日ワークショップ」を実施しました(平成23年12月)

 ワークショップの様子
ワークショップの様子

 毎月1回行われる「博物館の日」(ほぼ第4日曜日に実施しています。)。各専門分野がワークショップや講演会などを実施しています。12月25日は、「植物の日」。博物館を拠点に活動するボランティアグループ、相模原植物調査会が中心となり、落ち葉を使ったワークショップを行いました。

 年末ということもあり、2012年のカレンダーを落ち葉でデコレーションする工作が、この日のメニューです。事前にさまざまな形や色の落ち葉を調達したのも、調査会のみなさんです。当日は都合で参加できないからと、たくさんの落ち葉を持参してくれた方もいました。

 博物館に来られたお客さんが、ふらりと立ち寄って季節感のある素敵なカレンダーを作って行かれます。親子連れで参加して、いつのまにか子どもよりもお父さんお母さんが夢中になっていたり、じっくり取り組みすぎて、プラネタリウムの時間に遅れそうになったりと、楽しくにぎやかに一日が過ぎました。調査会のみなさんは、さりげなく参加者に語りかけ、落ち葉の使い方をアドバイスしたり、葉っぱの種類を教えてあげたりします。

ボランティアさんの指導により 落ち葉でデコレーション
ボランティアさんの指導により
落ち葉でデコレーション

参加者の作品 1
参加者の作品 1

参加者の作品2
参加者の作品2

 調査会では、ふだんはかなり専門的な植物調査を行っています。市域を中心に野生植物を採集し、押し葉標本にして採集データとともに博物館へ納めるという地道な作業ですが、これには高度な専門性と技術が要求されます。でも、みなさんがこうした活動に加わったきっかけは、例外なく「植物が好きだから」です。落ち葉の美しさ、形の楽しさをいちばんよく知っているのも、調査会のみなさんです。楽しそうに作業する参加者を見つめるやさしいまなざしがあるからこそ、こうしたワークショップが成り立っています。(生物担当 秋山)

 

大きな収穫のあった「学びの収穫祭」(平成23年11月)

 11月19日(土)と20日(日)の二日間、「学びの収穫祭」と題して研究活動の発表会を行いました。博物館を拠点に活動するボランティアグループや、学芸員が活動を支援する中学や高校の自然科学系の部活動など、市民がみずから調べ、活動する様子を口頭発表と展示・ポスター発表で紹介しました。

 19日は中学、高校の発表会。今、自然科学系の部活動がある中学や高校は、市内でも数えるほどです。運動部や音楽系の部活動と異なり、活動の発表の場が少なく他校との交流も限られている中で、顧問の先生の熱意でわずかな部が存続しているのが実情です。ならば、博物館が発表の場の一つを設けましょうということで、「学びの収穫祭」に学校の発表の時間をつくりました。呼びかけに応じてくださった上溝中学校科学部、光明学園相模原高等学校理科研究部、相模原青陵高等学校地球惑星科学部ほか、都立日野高等学校地学部が、それぞれ若い感性のすばらしい発表を披露してくれました。また、さがみはら水生動物調査会からの発表者は中学生だったため、同じ時間帯で発表していただきました。

展示の準備
展示の準備

高校生による口頭発表
高校生による口頭発表

 20日は博物館を拠点に活動するボランティアグループや、協働で調査、研究を行う他機関のボランティアグループ、大学などの発表です。歴史、考古、民俗、生物、地学、博物館での普及活動など内容は多岐にわたりましたが、「市民がみずから活動する」というスタンスは共通です。どの発表も意欲的な活動のようすを垣間見ることができて、また、お互いの活動のようすを知り、大きな刺激を受けました。

 ポスター発表と展示のコ-ナーでは、口頭発表をフォローアップするポスターに加えて体験コーナーなどもあり、発表者や観覧者がお互いに積極的に意見を交換し合うなど活気に満ちた発表会となりました。

 口頭発表の様子(一般)
口頭発表の様子(一般)

ポスター発表と展示コーナー
ポスター発表と展示コーナー

拓本の体験コーナー
拓本の体験コーナー

 じつはこの発表会、今年3月に実施する予定でしたが、東日本大震災の影響で中止となりました。仕切り直していく中で、時期を秋にして学校が参加しやすく、そして、博物館の開館記念日に合わせてより規模の大きなものにしようと企画をふくらませてきたものです。発表会のすばらしいタイトル「学びの収穫祭」も、ボランティアグループの代表のみなさんが集まる場で生まれたものです。このイベントはこれから、博物館の普及教育事業の柱の一つとして続いていくことでしょう。今年はその記念すべき節目の年となりました。

(担当 秋山幸也)

 

川崎市市民ミュージアム視察(平成23年6月)

 6月22日(水)市民学芸員の研修として、川崎市市民ミュージアムを視察しました。

ボランティア制度等の説明
ボランティア制度等の説明

 午前中はボランティア制度の説明と、ボランティアとして活動している方のお話を伺いました。実際に活動している方のお話は大変参考になり、担当者としても、もっとこの時間をメインに構成しても良かったかも、とやや反省。

 午後は常設展示室と企画展(岩合光昭どうぶつ写真展)の展示解説。学芸員の方々に大変熱のこもった解説をしていただき、内容の濃い研修となりました。

 長時間にわたる視察に快く応じていただいた、川崎市市民ミュージアムの職員とボランティアのみなさん。本当にありがとうございました。

 展示観覧 (河童の説明を受けているところ)
展示観覧
(河童の説明を受けているところ)

 全体を通して、何よりボランティアという同じ立場の方のお話が、非常に刺激になったようです。研修後に回収した感想でも「来館者と直接関わる重要な役割であり、その活動が定期的にある事がすばらしい」「展示物についてのガイドは、かなりの研修を積まないとやれないものだと納得」「ボランティア募集が活動別になっていて、参加しやすそう」「自発性、独立性が重視されている」など、ボランティアに関するものが多く、相模原市立博物館での、これからの活動を進めていく上で大変有意義であったといえるでしょう。(学芸班 木村知之)

 

鈴木重光関係資料の整理を進めています!(平成23年7月)

  現在、鈴木重光氏が寄贈し津久井郷土資料室に保管されている資料の整理作業を、市民学芸員の有志の皆さんが行っています。

鈴木重光資料整理の様子1

鈴木重光資料整理の様子2
鈴木重光資料整理の様子2

 鈴木重光は、緑区若柳の奥畑に生きた民俗学研究家です。明治21(1888)年に生まれ、日本民俗学の生みの親である柳田国男に師事しました。津久井地域の歴史・民俗資料を収集・研究し、大正13(1924)年『相州内郷村話』をまとめています。昭和42(1967)年に亡くなって以降、生前に集めた膨大な資料群をどうするかが検討され、旧津久井郡4町の文化財保護委員を中心に一部の資料について整理が行われました。それら鈴木重光収集資料に、津久井湖建設に伴う水没地で収集された生活資料を併せ、昭和46年に開設された津久井郡郷土資料館(相模原市との合併により「相模原市津久井郷土資料室」に名称変更)に収められました。

 今回は、これらの資料のうち、これまで整理が行われていなかったものを対象に整理を進めています。資料の内容は、チラシやポスター、会議資料、葉書、書簡、原稿、メモなど多岐にわたっています。毎月2回程度を作業日として、一点一点内容を確認し、一覧表を作っていく地道な作業です。また、5月にはフィールドワークとして、鈴木重光の生家及び相模湖周辺の史跡等を踏査しました。

 11月には、整理作業の成果を含め、鈴木重光に関する企画展示を行う予定です。ご期待ください。(歴史担当 井上 泰)

 

標本レスキュー隊、立ち上がる(平成23年5月)

 東日本大震災の被災地のために、なにをすべきか。そう自問しながらも、すぐに現地へ駆けつけることもできないし、支援物資を送ろうにも、個人のレベルで送れるものが現在のニーズに合っているかわからない・・。こうしたジレンマを抱えている方がとても多いのではないでしょうか。そんな中、植物を専門に扱う当館のボランティアさんたちが、これまでに培った専門技術と知識を生かして、被災した植物標本のレスキューに立ち上がりました。

津波の被害を受けた植物標本
津波の被害を受けた植物標本

 東日本大震災で大津波の被害を受けた陸前高田市立博物館(岩手県)は、6名の職員全員が死亡、または行方不明のままで、建物内部も壊滅状態です。このような中、4月末に岩手県立博物館の学芸員や陸前高田市立博物館の元職員が、がれきに埋もれた博物館資料の救出にあたりました。

 

  その中には約10,000点の植物標本が含まれていて、これは地元出身の博物学者、鳥羽源蔵が昭和初期やそれ以前に採集した貴重な標本を中心に構成されています。幸い、ほとんどは1枚ずつビニール袋がかけられていたため、完全に破損しているものは少なかったものの、海水と泥をかぶり、すでにカビなどの発生がみられる標本が半数以上にのぼりました。そこで岩手県立博物館では、全国の学芸員のネットワークを使って植物標本を扱える博物館、植物園などに標本の救済作業への協力を呼びかけました。

作業手順を確認
作業手順を確認

 相模原市立博物館では、植物分布を調査する専門ボランティアグループである相模原植物調査会が博物館を拠点に活動しています。会員のみなさんは担当学芸員を通じてこの呼びかけに応え、まず300点の標本を引き受けることにしました。5月31日に博物館の実習実験室に集まった6名のボランティアさんたちは標本を前に黙祷したあと、早速標本を開封して状態を調べました。現在、標本の状態に応じた手当の方法を話し合いながら慎重に作業を進めているところです。

慎重に洗浄作業を行う
慎重に洗浄作業を行う

 今回の震災では、文化財や学術資料も少なからず被災しています。人的被害のあまりの大きさに、まだまだこれらの被害の多くは実態すらつかめていないのが現状です。しかし、地域のアイデンティティーであるこうした資料を救済していくことが、被災地の長期的な復興に不可欠であり、今後の大きな課題になることは間違いありません。博物館のボランティアさんたちの今回の取り組みは、今住む地域にいながらできる、専門を生かした支援として、これから注目されていくことでしょう。(生物担当 秋山幸也)

 

市民学芸員

 博物館には、市民学芸員制度があります。この制度は平成19年にスタートしましたが、前身である「展示活動協力員」を発展させたもので、「市民と博物館が協働で展示や教育普及活動を行うこと」を目的にしています。希望者は博物館が主催する研修を履修することで登録することができます。

 研修の総仕上げとして、常設展示を活用したクイズラリーを毎年行ってきました。

 クイズラリーの参加者は、受付でクイズが書いてあるシートをもらい、展示を見ながら正解の番号をチェックしていき、全問正解で「認定証」と記念品がもらえます。子どもたちにとっては展示室を回ってクイズに答えることで、楽しみながら学習でき、オマケまでついてくる楽しい企画ですが、クイズラリーの準備には大変な手間がかかっています。

 クイズを作るには、市民学芸員自らが、展示室をくまなく歩き、展示の意味を理解しなければいけません。次に、その中からクイズになりそうな事柄を拾い上げ、文章化し、写真を添えます。いくつも作ったクイズのなかから選りすぐりをまとめ、担当学芸員の監修を受けます。修正を加えて、出来上がったクイズをもとに、市民学芸員が問題用紙や解答用紙はもちろんのこと、ときには記念品もをつくります。これらの作業は、どんなに短くても2か月から3か月かかります。

 博物館というと硬いイメージがつきまといがちですが、このようにボランティアが心をこめて作っているイベントもあります。もし参加される機会があったら、そんなことをちょっと思い出してみてください。

 平成22年度は、クイズラリーを8月22日(日)と2月27日(日)の2回実施しました。8月は326人、2月は212人がクイズラリーに参加してくれました。

市民学芸員の活動の様子

 黄色いジャンバーが市民学芸員の目印です。「学習資料展」と同時開催される「昔の遊び体験」ではもちろん、昨年(平成22年)小惑星探査機「はやぶさ」のカプセル展示の際には来館者の誘導に大活躍でした。

クイズラリーの様子
クイズラリーの様子

はやぶさカプセル展示の様子※
はやぶさカプセル展示の様子※

「昔の遊び体験」の様子
「昔の遊び体験」の様子

※ 「昔の遊び体験」の様子 ※当館の小惑星探査機「はやぶさ」のカプセル展示は、平成22年7月30日~31日で終了しています。

 

市民ボランティア研修会を行いました。

 平成23年4月20日(水)午後1時~4時30分まで、博物館の大会議室でボランティア研修会を行いました。これは、博物館を拠点に活動するボランティアグループのみなさんに、博物館の調査・研究活動への理解を深めていただくために企画したものです。考古、民俗、歴史、生物、地質の各専門分野の学芸員が、最新の調査・研究のトピックを紹介しました。

 また、天文分野は、4月16日にリニューアルオープンしたばかりの天文展示室で展示解説を行いました。

 さらに、相模原市から大船渡市へ被災地支援活動のために派遣された秋山学芸員から、被災1週間後の大船渡市のようすについて報告がありました。

 各分野の発表内容タイトルは次のとおりです。

  •  考古分野(河本学芸員) 「津久井地域の遺跡調査」
  •  民俗分野(加藤学芸員) 「津久井地域の祭礼行事」
  •  歴史分野(土井学芸員) 「歴史分野の現状と課題」
  •  生物分野(秋山学芸員) 「絶滅危惧種から見る相模原市の特色」
  •  地質分野(河尻学芸員) 「相模原の台地の成り立ち」
  •  天文分野(上原指導主事・有本主査) 「リニューアルした天文展示室」
  •  被災地派遣報告(秋山学芸員)
スライドを使った講義
スライドを使った講義
熱心に話を聴くボランティアの皆さん
熱心に話を聴くボランティアの皆さん

市史の窓(平成24年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成24年度
  • 市史講演会を開催!(9月23日)
  • 津久井町史調査報告書を刊行!!

市史講演会を開催!(9月23日)

講演中の山本先生
講演中の山本先生

 9月23日(日)に相模原市史講演会を実施し、今年(平成24年)3月に刊行した市史『考古編』の執筆者の一人、山本暉久(てるひさ)さん(昭和女子大学教授)に「相模原市の縄文遺跡」をテーマに縄文時代を熱く語っていただきました。

 当日は、悪天候にもかかわらず、100名の熱心な考古ファンが集まり、終了予定時間を越えて深く聞き入っていました。

 「縄文時代とはどういう時代か」に始まり、神奈川県域の縄文遺跡を概観した上で、相模原市内の遺跡の特徴を明らかにし、考古編の成果と課題を確認、相模原市内の主な縄文遺跡について説明をしていただきました。

 盛りだくさんの内容を語る中で、縄文時代中期の大規模集落の形成と人口の増加や減少、中期の環状集落から後期の柄鏡形(えかがみがた)敷石住居への鮮やかな転換など、縄文時代の不思議が語られ、聴講者を魅了しました。

 また、少しでも興味を持ってもらうため、大会議室前のホワイエに、縄文土器や石器の展示ケースを設置するとともに、遺跡の写真パネルなどを展示しました。

 次回の市史講演会は、3月24日(日)に現代の市内の商業施設の変遷などを対象にした講演を行う予定です。(市史編さん班:井上 泰)

展示パネル
展示パネル

津久井町史調査報告書を刊行!!

 津久井町史編さん事業の中では、今年度刊行を予定している自然編の基礎資料を得るため、動植物の調査を継続的に進めてきました。そしてその成果は、津久井町の昆虫Ⅰ・Ⅱとして既に報告し、平成24年3月には『津久井町の昆虫Ⅲ』と『津久井町の植物』を発行しました。

『津久井町の昆虫Ⅲ』では、今までに報告できなかった分類群や新たに発見された種類なども記述され、Ⅰ~Ⅲにより約5,100種類の昆虫が記録されていることを報告し、『津久井町の植物』では、植物分野担当の自然部会員が、旧町内を歩いて観察、確認した植物638種を紹介しています。

ホームページの町史刊行物のコーナーから、各報告書の基礎となったデータベースをダウンロードすることができますので、興味のある方は是非ご覧になってください。

(町史担当:守屋博文)

オオセイボウ
オオセイボウ
ミツバツツジ
ミツバツツジ

市史の窓(平成23年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成23年度
  • 津久井の撚糸(ねんし)や水車の話を聞きました

津久井の撚糸(ねんし)や水車の話を聞きました

 夏の暑さが残る9月15日(木)、「串川流域の撚糸業」をテーマとした座談会が津久井町史編さん会議室で開かれました。この座談会は、津久井町史の機関誌『ふるさと津久井第5号』(平成24年3月刊行予定)で「養蚕と織物」の特集を組むにあたって企画したものです。

 「撚糸」とは、1本または2本以上の生糸を引きそろえて撚り(より)をかける(ねじりあわせる)ことをいいます。絹織物はおよそ養蚕→製糸→撚糸→染色→製織という工程を経て作られ、撚糸の工程では、織物の種類など用途にあわせて撚り方や太さを調整しながら、細い生糸を撚りあわせて織物用の糸を作ります。

 撚糸といえば愛川町の半原地区が有名ですが、もともと養蚕・製糸や製織が盛んだった津久井地域でも、明治~昭和にかけて、串川流域を中心に撚糸が盛んに行われるようになりました。明治~大正頃には、撚糸の機械を動かす動力として水車が利用され、串川流域には130台以上の撚糸用水車があったことが近年の調査で確認されています(津久井町文化財保護委員会編『つくい町の水車』、平成16年)。

 しかし、動力が水力から電力に変わり、撚糸業が衰退した現在では、串川流域に残る水車は一つもなく、かつて盛んだった撚糸を知る人も少なくなりました。

座談会の様子
座談会の様子

 そうした中、撚糸に関する座談会を企画し、ご出席いただける方を探したところ、串川流域にお住まいで撚糸関連の仕事に携わった経験のある4名の方が集ってくださいました。2時間にわたる座談会では、沼謙吉氏(津久井町史編集委員会近代・現代部会長)の司会のもと、出席者の皆さんから、串川沿いにあった水車のこと、撚糸の機械のこと、生産していた糸や販売先のことなど、自らの経験に基づく貴重なお話をうかがうことができました。

 また、座談会の前週に開かれた津久井町史懇話会においても、座談会の内容に関連して、津久井地域の水車のお話をうかがう機会を得ました。ここでも、地元に詳しい皆さんから、水車があった場所やその用途、水車を修理する機械大工の話など、興味あるお話をうかがうことができました。

 この座談会の内容を地域の皆さんにお伝えするとともに、記録として後世に残していくため、現在、『ふるさと津久井第5号』への掲載に向けた編集作業を進めています。また、町史懇話会でのお話は、座談会の記事をまとめる際の参考とするとともに、地域に関する貴重な情報源の一つとして活用するため、テープ起こしの作業を行っています。

 普段当たり前にあることは、記憶には残っても記録には残りにくいものです。仮に、書類や写真が残ったとしても、それが大事と思われなければ、いずれなくなってしまうことでしょう。今回、たくさんのお話をうかがう中で、これからも多くの人やモノや自然に触れ、地域にとって大切なもの、将来に伝えたいことを見逃さないようにしたいと感じています。(町史担当:草薙由美)

市史の窓(平成22年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成22年度
  • 社寺文化財調査(泉龍寺、望地弁天堂)(平成22年12月)
  • 丹沢稜線部の昆虫類調査(津久井町史自然編)(平成22年10月) 
  • 市史を作るために調査します(平成22年7月) 

社寺文化財調査(泉龍寺、望地弁天堂)(平成22年12月)

 博物館市史編さん班では、市史『文化遺産編』に収録する彫刻、日本画などの社寺文化財調査を行っています。

 ここでは、昨年度の調査から南区上鶴間本町にある泉龍寺と中央区田名・望地弁天キャンプ場内にある望地弁天堂を紹介します。

泉龍寺の三重塔 (南区上鶴間本町)
泉龍寺の三重塔
(南区上鶴間本町)

 泉龍寺では、涅槃図、十王図などが調査対象として拝見することができました。また、この寺院には、昭和62年に建造された三重塔があり、市内ではここだけと思われます。その圧倒的な存在感からはそれ以上の歳月の流れをも感じさせます。山門は古くからあるもので、その両脇には阿形像、吽形像一対の仁王像が安置されています。

 望地弁天堂の祠 (中央区田名)
望地弁天堂の祠
(中央区田名)

 望地弁天堂の祠は、桧皮葺(ひわだぶき)の立派なもので、市指定文化財である弁才天が安置されています。管理をされている方の話では、その方が以前古老から聞いた言い伝えによると、弁才天には3姉妹説があり、長女が江の島の弁才天で、望地が次女、三女は鹿児島の方に安置されているとのことでしたが、現在ではその話を伝承できる人はいないそうです。

(市史担当:佐藤洋二)

 

丹沢稜線部の昆虫類調査(津久井町史自然編)(平成22年10月)

 今年(2010年4月)から、津久井町史刊行の業務が博物館に加わりました。今までに資料編として「考古・古代・中世」、「近世1」、「近代・現代」の3巻が刊行されていますが、今後も「資料編近世2」、「自然編」などを刊行していく予定です。

檜洞丸(ひのきぼらまる)方向から大室山を望む
檜洞丸(ひのきぼらまる)方向から大室山を望む

 自然編を刊行するための基礎調査では、特別な許可を得て丹沢稜線部の昆虫類調査も実施しました。稜線部を歩きながら、ここも相模原市なのかと思わせる自然豊かな光景が広がり、本市の自然の多様性に驚きます。一方、さまざまな要因で枯れていくブナの大木や崩落した緑地を目にすると、調査結果をどう伝え、どのように読んでもらうのか、自然編刊行の大きな責任を痛感します。(町史担当:守屋博文)

 

市史を作るために調査します(平成22年7月)

 市史を編さんする担当になって驚いたことがあります。それは市史を編さんするために多くの調査が行われていることです。

例えば「考古編」ですが、過去に行われた調査を集約すれば作れるものだと思ってしまいがちです。もちろん過去の調査を利用するものもたくさんあります。しかし実際には、市史編さんをきっかけにした調査が行われているのです。

 先日も、市内上矢部にある土塁に置かれていた石造物の一部について調査を行いました。このような調査の積み重ねが、市史を作っていく上で、欠かせないことなのだと実感しました。(市史担当:塩谷裕久)

90-07shishi220701

天文の窓(平成24年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成24年度
  • “さがぽん”(平成24年2月)

“さがぽん”(平成24年2月)

“さがぽん”をご存知でしょうか?柑橘系の新品種ではありません。 2011年4月から、土曜日、日曜日、祝日及び特別上映期間(夏休みなど)に、こども向けプラネタリウム番組の投影を始めましたが、この番組のキャラクターとして登場したのがタヌキの“さがぽん”です。

ぬりえ
ぬりえ

 誕生以来2年余りになりますが、“さがぽん”をより多くの方にPRし、親しんでいただこうと、様々なグッズが登場しています。ぬりえ、缶バッチ、紙粘土製の人形やスタンプ、市民学芸員(=博物館ボランティア)さん手作りのワッペン、ぬいぐるみ、そして“なりきり”さがぽん撮影コーナーには、着用できる帽子と尻尾も用意されています。お子さまには大好評。大人の方も、恥ずかしがりながらも撮影していらっしゃいます。ご来館の際は、ぜひご利用ください。

こども向けプラネタリウム番組は、“さがぽん”シリーズ第3弾「おしえて!さがぽん お日さまって なに色?」を投影中です。前半に今晩見える星や星座についてご案内し、後半は“さがぽん”といっしょにお日さまの光についての様々な疑問について考える内容になっています。幼児から小学校低学年までのお子さまとご家族が一緒に楽しめる番組です。

また、“さがぽん”の愛称をツイッターや博物館の太陽望遠鏡で撮影した画像をインターネットでライブ配信するsagapon TV など、活躍の場が広がってきており、今や当館のイメージキャラクターと化しています。

これからも、“さがぽん”をよろしくお願いします。

(天文担当 有本)

缶バッチ
缶バッチ

3D
3D

スタンプ
スタンプ

ワッペン
ワッペン

ぬいぐるみ
ぬいぐるみ

なりきりさがぽん
なりきりさがぽん

天文の窓(平成23年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成23年度
  • “十三夜”のお月見
  • 天文展示室リニューアルオープン(平成23年4月)

“十三夜”のお月見

 今年は、“十五夜”のお月見をされた方も多かったのではないでしょうか?

 天候の不順な日が続く中、平成23年9月12日(月)は、めずらしく晴れ渡った空に、まんまるのお月さまがとてもきれいでした。

 ところで、お月見のお手本にした中国にはない習慣が、わが国にあります。“中秋の名月”のひと月後、旧暦九月の“十三夜”の月を愛でるもので、“後の月”(のちのつき)とも言います。

 なぜ、“十三夜”なのか、その由来は、諸説ありますが、“十五夜”は、秋の長雨の時期で、雲間に見るなど、すっきりしない天気が多いのに対して、“十三夜”の頃になると、「十三夜に曇り無し」という言葉があるように、晴れることが多いようです。また、日本人独特の美意識にも関係がありそうです。

 中学、高校の「古典」の定番『徒然草』の137段は、こう始まります。

 「花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは」

 (訳)桜の花は満開のときばかり、月は満月ばかりを見るものか? いやそうではない。

 作者吉田兼好のみならず、不完全なもの、未完のものの持つ美しさを理解する日本人だからこそ、生まれた習慣なのかもしれません。

 平成23年は、10月9日(日)が“十三夜”にあたります。(天文担当:上原徹也)

 

天文展示室リニューアルオープン(平成23年4月)

リニューアルオープンした天文展示室
リニューアルオープンした天文展示室

 財団法人日本宝くじ協会の助成を受けて、平成22年12月から平成23年3月までの間、整備工事を実施した天文展示室が『宇宙とつながる』をテーマとして、4月16日(土)にリニューアルオープンしました。

 博物館の立地環境からJAXAとの連携により、他市の科学館・博物館にはあまり事例がない実物の天体観測機器等の展示の実現が、このリニューアルの命題のひとつでしたが、小惑星探査機「はやぶさ」に搭載されたイオンエンジンの開発初号機や実際に宇宙空間で観測をして地球に戻ってきた宇宙赤外線望遠鏡(IRTS:アーツ)などの貴重な資料を借用し、展示することができました。

 その他、本物の隕石の展示など宇宙とのつながりを考えるヒントが詰まった展示構成となっており、博物館において“宇宙とつながる相模原”を実感できると思います。

 また、リニューアルに伴い、リニューアル前の天文展示室のシンボル的な展示だった大型地球模型を能代市子ども館へ無償譲与することとなり、去る6月26日には現地にて除幕式が行われました。「銀河連邦」の構成員である能代市の子どもたちに夢を与える贈り物ができたことは、大変うれしく思います。(天文担当:有本雅之)

天文の窓(平成22年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成22年度
  • 「はやぶさ」カプセル展示を振り返って(平成23年1月)
  • 宙(そら)からの贈りもの(平成22年11月)
  • 宙(そら)を望む(平成22年10月)
  • “宇宙につながる 相模原”(平成22年7月)

「はやぶさ」カプセル展示を振り返って(平成23年1月)

 相模原市立博物館とJAXAとの連携事業についての記事が、「博物館研究」第46巻第1号(平成22年12月25日 財団法人日本博物館協会発行)に掲載されました。「博物館研究」は、全国の博物館活動に関する研究論文・報告・展示案内等について普及・啓発することを目的として毎月発行されています。

 掲載記事は、当館建設当時の様子も含めて、小惑星探査機「はやぶさ」カプセル世界初公開の顛末をメインにした内容となっています。(天文担当:有本雅之)

 「宇宙航空研究開発機構(JAXA)との連携事業-小惑星探査機「はやぶさ」カプセル世界初公開」
(出典:博物館研究Vol.46 №1)(PDFファイル 355KB)

 

宙(そら)からの贈りもの(平成22年11月)

 当館は、今年11月20日に開館15周年の節目をむかえました。これを記念して11月20日(土)、21日(日)の2日間、プラネタリウム等で記念事業を開催しました。

当日エントランス
当日エントランス

 11月20日は、エレクトーン演奏家 神田 将(ゆき)さんによるプラネタリウムコンサート「宙(そら)からの贈りもの」を開催しました。神田さんがたったひとりで奏でる“フルオーケストラ”をほうふつさせるような迫力のあるエレクトーンのサウンドが満天の星空に響きわたりました。本市のシティセールスコピー「潤水都市 さがみはら」があらわす水と豊かな自然をイメージした楽曲と当館学芸員・スタッフが撮影した映像との共演や星空解説時の即興演奏もあり、その場限りの贅沢なBGMで満天の星空を堪能することができました。

 

プラネタリウムコンサート風景
プラネタリウムコンサート風景

  11月21日は、3つの記念事業を開催しました。東京造形大学によるワークショップ「みんなでわっしょい宇宙みこし!~宇宙の彼方へさぁ行こう!~」では、小学生たちが創意工夫により宇宙船を模したみこしを考案・製作し、JAXA宇宙科学研究所に展示してあるロケットの前まで練り歩きました。宇宙科学研究所の阪本成一教授によるオモシロ楽しい宇宙の話には、目を輝かせていました。子どもたちが宇宙への憧れや夢を抱く、よいきっかけになったものと思います。

JAXA宇宙科学研究所のロケット前にて
JAXA宇宙科学研究所のロケット前にて

 プラネタリウムにおいては、女子美術大学による「こどもアニメーションフェスティバル」の優秀作品と、当館が開催した「子どものためのワークショップ 生きものアニメーションをつくろう」の参加者が作った作品の上映会、そして武蔵野美術大学学生によるパフォーマンス「ライツ・オブ・ディスタンス」を行いました。

 今回の記念事業は、大学や研究機関との連携によるプラネタリウムの取り組みなど、今後の博物館事業への手がかりとなりました。(天文担当:有本雅之)

 

宙(そら)を望む(平成22年10月)

 博物館の屋上には、ドームの直径が6mの天体観測室があります。その中に置かれているのが県内最大級の口径40cmカセグレン式反射望遠鏡(焦点距離6m)です。直径40cmの鏡(凹面鏡)で宇宙からの光をとらえます。集光力(=肉眼に対してどれくらい光を集められるかを表した数値)は何と約3,265倍!パソコンによって暗い天体も自動で正確にとらえることができます。

天体観測室
天体観測室

 口径40cmカセグレン式 反射望遠鏡
口径40cmカセグレン式
反射望遠鏡

  金曜日に行っている星空観望会(事前申込制(*))では、この望遠鏡のほか、移動式の口径30cmシュミット・カセグレン式反射望遠鏡や大型の双眼鏡などを用いて、季節の代表的な星座や、惑星・月などを楽しんでいただいています。

夜の観測テラス(奥は天体観測室)
夜の観測テラス(奥は天体観測室)
星空観望会の様子
星空観望会の様子

 開館以来、今年9月に開催回数366回、参加者数は延べ14,273人になりました。これまでは、8月開催分を除き、抽選をすることなくご参加いただけましたが、今年は例年と様子が違い、8~10月開催分の3ヶ月連続で抽選(倍率2~3倍)という状況です。これも、小惑星探査機「はやぶさ」の話題をきっかけにして、天文、宇宙への興味関心が高まっていることの表れなのかも知れません。「はやぶさ」がもたらしてくれた嬉しい効果のひとつです。(天文担当:有本雅之)

*星空観望会は、開催月の前月の1日~15日までの期間に参加者を募集します。詳しくはこちらをご覧ください。

 

“宇宙につながる 相模原”(平成22年7月)

90-06tenmon220701 90-06tenmon220702 地球が誕生した46億年前の記憶を探るため、小惑星の表面から物質のサンプルを採取し、地球に持ち帰る使命を与えられた探査機「はやぶさ」は、幾多のトラブルを乗り越え、約7年、60億kmの長旅から地球に帰ってきました。数々の世界初の偉業を成し遂げた「はやぶさ」本体は、2010年6月13日深夜、大気圏突入で燃え尽きてしまいましたが、「はやぶさ」の活動は、今も私たちに夢と希望と感動を与え続けています。

 7月30日、31日には、JAXA相模原キャンパス特別公開の目玉企画としてカプセルなどが博物館で世界初公開され、2日間で延べ3万人がご覧になりました。壮大な宇宙へのロマンを感じた人もいらっしゃるのではないでしょうか?観覧を待つ人の列は、炎天下にもかかわらず、終始途切れることなく最大で約4時間待ちとなり、「はやぶさ」人気を改めて実感しました。

はやぶさのカプセルの展示風景 カプセル見学のための長蛇の列  「はやぶさ」地球帰還に先駆けて5月21日に打ち上げられた、金星探査機「あかつき」、宇宙ヨット「IKAROS」などの相模原生まれの探査機が次々と開発・運用されています。太陽系や生命の起源・進化に迫るべく、「はやぶさ」に続く「はやぶさ2(仮称)」ミッションが計画されるなど、相模原は宇宙につながる世界的なまちなのです。(天文担当:有本雅之)

90-06tenmon220704

生きものの窓(平成24年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成24年度
  • 見かけ倒し?真冬の果実(平成25年1月)
  • 生きものの持ち方(平成24年10月)
  • 夏の花粉症(平成24年7月)
  • 広がりもせず、絶えもせず-不思議な外来植物(平成24年4月)

見かけ倒し?真冬の果実(平成25年1月)

  鳥たちにとって、冬は食べ物探しに苦労する季節です。一年中植物の種子を食べるハトや、水中の魚などを捕るために、ほとんど季節に関係無く食べ物が得られる水鳥を除くと、冬は鳥たちが「食べること」にすべてをかけなくてはいけない厳しい季節です。

トキワサンザシ
トキワサンザシ

 そんな中、博物館の庭に、真冬に実る果実があります。そのありがたい植物はというと、ヤブラン、マンリョウ、ノイバラなど。博物館にはありませんが、今、家々の庭でたわわに実を付けている園芸樹木のトキワサンザシ(ピラカンサ)もその一つです。

ところが、見ているとどうもこれらの果実は、売れ行きが芳しくありません。樹木の果実は一般的に、豊作と不作を周期的に繰り返します。秋深く実るドングリやそのほかの果実の不作が重なった年は、これらの真冬の果実もよく食べられています。しかし、年によってほかの果実が豊作だと、とうとう食べられずに春先まで残ってしまうことがあります。

こんなに美味しそうに実っているのになぜ?と思い、これらの果実の中身を割ってみることにしました。なんと、ヤブランやマンリョウは、果実とほとんど同じ大きさの種子が一つ入っているだけでした。果肉はほとんど無く、わずかに汁があるだけ。ノイバラは水気が無く、お世辞にも美味しそうなシロモノではありません。

左)ヤブラン、右)マンリョウの果実
左)ヤブラン、右)マンリョウの果実
皮をむくと、大きな種子が一つだけ!
皮をむくと、大きな種子が一つだけ!

 鳥たちが好むのは、エネルギー源となる糖分や脂肪分が果肉に豊富に含まれている果実です。植物にとって果実のほんとうの中身である種子は、ほとんどの鳥は消化せず、フンやペリット(未消化物をまとめてはき出したもの)としてそのまま排出されます。じつは、植物はこれをねらっているのです。自ら動くことのできない植物は、子孫を新しい場所で芽生えさせるために、さまざまな方法で種子を運ばせます。果実の多くは、鳥に食べてもらい、飛び回るうちにフンとして種子を落としてくれれば目的を果たしたことになります。

動物とちがって、植物は親のすぐ近くでは日照が足りず、子どもがうまく育ちません。多くの果実の果肉部分には、種子の発芽を抑制する物質が含まれていることが知られています。鳥が食べて果肉を消化し、離れた場所でフンとして出して初めて発芽する体制が整うという、ご丁寧な仕掛けまで備えているのです。

さて、真冬に実る果実は、どうも鳥たちの足下を見ているようです。果肉に糖分や脂肪分をサービスするコストをかけなくても、鳥たちは食べ物に困って食べてくれるだろうと踏んでいるわけです。といっても、食べ残される年も多いことを考えると、やっぱりそうそううまくはいかないのでしょう。

今年は冬鳥の渡来数が多く、木の実は作柄が芳しくなかったという情報があります。そろそろこれらの木の実に手が付けられる日が近いかもしれません。

(生物担当 秋山幸也)

 

生きものの持ち方(平成24年10月)

夏休みも後半の8月29日に、「小中学生のための生物学教室」を実施しました。定員を2倍近く超えるご応募をいただいたため、泣く泣く抽選して参加者を決めることになってしまいました。

さてその教室ですが、午前中は植物を扱い、花粉管の伸びるようすを観察するというオーソドックスな生物学の実験と観察を行いました。午後は、これまでやったことのない内容を試みました。それは、「生きものの持ち方教室」です。

講師は動物カメラマンの松橋利光さんと、ペットショップのオーナーの後藤貴浩さん。松橋さんは、両生類、は虫類を中心として図鑑や写真絵本で独自の世界を築いている人気カメラマンです。じつは、まさに「持ち方大全 プロが教える持つお作法」(山と溪谷社)という本も出している“持ち方マスター”です。後藤さんはもちろん職業柄、あらゆる動物を扱いますし、今回、なかなか手に取ることのできないいろいろな動物を持ってきてくれました。

ウサギの持ち方を松橋さんから教わる
ウサギの持ち方を松橋さんから教わる
ヘビも持ってみるとかわいいもの (左:ボールパイソン、右:コーンスネーク)
ヘビも持ってみるとかわいいもの
(左:ボールパイソン、右:コーンスネーク)
アニメの世界から飛び出してきたようなヨロイモグラゴキブリ
アニメの世界から飛び出してきたようなヨロイモグラゴキブリ

 生きもの好きが集まる教室ですから、子ども達、大興奮でした。ただ、これは持って遊ぶ教室ではないので、生きものを傷つけない、弱らせない持ち方をしっかり解説してもらいます。

今回扱う動物は、犬や猫などペットとして何千年もの歴史のある動物ではなく、いわゆる“エキゾチック系”(ペット業界や獣医師の間で、犬猫以外の動物をこう呼びます)。ウサギに昆虫に甲殻類に…そしてヘビやカエルなど。できれば人間になんて持って欲しくないと(たぶん)思っている動物ばかりです。松橋さんによると、コツは、「動物にあきらめさせること」。つまり、暴れさせず、どうにもならない、降参、と思わせる持ち方が大事だということを教わります。

それでも、気持ちを抑えきれないのが生きもの好きの子ども達。自分たちもまるっきり同じだったので、なでまわしたり肩にのせてみたり、多少のことには目をつむります。それよりも、普段持ったことのない、あるいは、持てるなんて思ってもみなかった動物を持てたという記憶を持ち帰り、そして、その生きものをこれから身近に感じてもらえればこの教室の目的を果たしたことになります。さて、教室参加者の子ども達、今頃は「飼いたい!」とおねだりしておうちの人を困らせているかな? (生物担当 秋山幸也)

 

夏の花粉症(平成24年7月)

花粉症の原因植物と言うと、まっさきにスギが挙げられます。他には?と尋ねられれば、ヒノキ、そしてオオブタクサあたりが次に来るでしょうか。季節的にはスギ、ヒノキは早春、オオブタクサは夏の終わりです。しかし、晩春から初夏にもかなりひどい症状が現れる人もいます。

ネズミムギ
ネズミムギ
カモガヤ
カモガヤ

 その犯人はというと、イネ科植物です。花粉症の原因植物はすべて、風に花粉を飛散させる風媒花(ふうばいか)です。虫に花粉を運んでもらう虫媒花(ちゅうばいか)の花粉は一般的に粒が大きく、また、粘着性もあるので、風で飛ぶことはありません。従って、花弁があって花が目立つ植物は、自然の状態では花粉症の原因とはなりません。逆に、いつ咲いたのかわからないようなイネ科植物などは、まずほとんどが風媒花だと思って間違いありません。

中でも、5月頃から道ばたや、草刈りがあまり行われない草地などにはびこるネズミムギやカモガヤは、代表的な原因植物です。写真を見れば、おそらくご近所で普通に目にされているのに気付くことと思います。花弁が無いのでわかりにくいのですが、雄しべの葯(やく)が飛び出している時が、開花。つまり、花粉をたくさん飛ばしている時です。

もちろん、花粉症の原因となるイネ科植物はこの2種だけではありません。野外で見られる、葉が細長くてイネやアワ、ヒエなどに似た形の植物はほとんどイネ科だと思って間違いありませんし、花粉症の原因となる可能性があります。じつは、イネも原因植物の一つです。8月頃、水田の近くで花粉症の症状が現れる人はイネに反応しているかもしれません。

ところで、花粉症の複合的な原因の一つに、自動車の排気ガスによる大気汚染が疑われています。ネズミムギやカモガヤがクローズアップされるのには、花粉の飛散量が多いことに加え、市街地との相性の良さがあるのかもしれません。

8月から秋にかけては、もう一つ強力な原因植物があります。それは、カナムグラです。茎に小さなとげがびっしりと生えていて、他の植物やフェンスなどにからみつく、つる植物です。花はやはり、花弁が無くて目立たないのですが、開花期にこの植物を揺らすと、もうもうと煙のように花粉が舞います。

こうして見てみると、冬を除いて一年中、花粉症の原因植物が咲いていることになります。私も何を隠そう、イネ科やカナムグラに反応しやすい花粉症です。植物を扱うことが多いだけに、悩ましい問題です。野外調査に出る時は、季節やフィールドの環境によって事前に抗アレルギー薬を飲むなど、花粉症のスイッチが入る前に手を打つようにしています。(生物担当 秋山幸也)

カナムグラ
カナムグラ

カナムグラの花
カナムグラの花

 

広がりもせず、絶えもせず-不思議な外来植物(平成24年4月)

 相模原市南区の、さらに南の端。国道16号線沿いのある一角に、神奈川県内ではここでしか確認されていないという、珍しい外来植物があります。外来植物なので、本来ここにあるべきものではありません。従って、珍しいからと言って絶滅危惧植物というわけでもありません。でも、神奈川県の中でたった1カ所、ここだけ。やっぱり注目せずにはいられません。

ニセカラクサケマン 歩道に沿った20mほどの範囲にだけ生育
ニセカラクサケマン
歩道に沿った20mほどの範囲にだけ生育
花は形も色合いもかわいらしい
花は形も色合いもかわいらしい

 その植物とは、ニセカラクサケマン(ケシ科)。いかにも外来植物らしい名前です。外来植物の和名には、「よそ者」、「招かざる者」というニュアンスが込められたものが少なくありません。「ニセ○○」、「○○モドキ」、「イヌ○○」…。頭にイヌとつくのは、有用とされる植物に似ているけれど、あまり使い物にならないというような意味のようです。なんだかつけられた植物にも、犬にも失礼な話ですね。ちなみに、ニセカラクサケマンの本家扱いのカラクサケマンも、外来植物です。

 さて、そのニセカラクサケマンですが、現在書店で市販されている図鑑でこの名前を探そうとすると、なかなか難儀です。私が知る限り、『日本帰化植物写真図鑑 第2巻』(全国農村教育協会,2010年)しかありません。地方限定の出版物や学術報告書などではほかにもありますが、いずれにせよ、極端に知名度の低い植物であることは間違いありません。

 この場所でニセカラクサケマンが発見されたのは、2003年のことです。相模原植物調査会の会員が見つけて、『神奈川県植物誌2001』などにも記載がないことから、神奈川県新産であることがわかりました。以来9年経ちましたが、不思議なことに、周辺に広がりもせず、絶えることもありません。越年草なので、毎年しっかりと結実し、発芽、越年して代を重ねていることになります。

 外来植物というと、在来の生態系に悪影響を与える特定外来生物がクローズアップされることが多いため、よい印象を持たれることはほとんどありません。事実、在来の植物の生育を脅かすような広がりを見せているものもあり、油断はできません。でも、視点を変えてみると、在来の植物の生育環境を人間が改変してしまった場所へ、外来植物が緑の穴埋めをしてくれている、という見方ができる場合もあります。少なくとも私は、外来植物すら生えていないような環境を、想像したくありません。

 だからと言って、保護しましょうなどと言うつもりは毛頭ありません。しかし、幹線道路を走る自動車の風圧や排気ガスにも耐えて連綿と世代を重ねる姿に、ちょっと共感のようなものを抱いてしまうのも事実です。(生物担当 秋山幸也)

 

生きものの窓(平成23年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成23年度
 「標本レスキュー隊、立ち上がる」の記事は、ボランティアの窓に移動しました。
  • 「博物館のまわりのミニ観察会」を実施しています!(平成24年1月)
  • 木のくぼみに虫がごちゃごちゃ(平成23年12月)
  • 絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)の自生地をめぐる
  • 巨大グモが出たっ!
  • カイコを育てる(4)-いろいろな繭のはなし(平成23年7月)
  • カイコを育てる(3)-繭になる(平成23年7月)
  • カイコを育てる(2)-どれくらいの期間で繭をつくるの?(平成23年7月)
  • カイコを育てる(1)-最も研究されている昆虫(平成23年6月)
  • 春が来た(平成23年4月)

「博物館のまわりのミニ観察会」を実施しています!(平成24年1月)

観察会の様子
観察会の様子
ジョロウグモの卵塊
ジョロウグモの卵塊

  生物分野が今年度から始めたイベントに、「博物館のまわりのミニ観察会」があります。毎月1回、土曜日の午前に実施しています。じつは、樹木の多い博物館のまわりには、“自然観察のネタ”がゴロゴロあります。これを使わない手はない、ということで毎回約30分、季節ごとに異なるメニューで文字通り小さな観察を行っています。

 1月14日(土)のテーマは、「生き物たちの冬ごもり」です。博物館の樹木を代表する、入り口正面のクヌギの木が、今回のメインステージです。ここのごつごつした幹のすき間をよく見てみると…、何やら黒いかたまりがあります。参加者のみなさんには場所を教えずに「この幹のどこかにあるものがかたまっています」と言って探してもらいました。

 一番始めに見つけた親子連れのお母さんが、思わず「キャー!」。すばらしいリアクションです。そこにあったのは、前回の生きものの窓でも紹介した外来昆虫、ヨコヅナサシガメの亜成体のかたまり。もともと日本よりも南方に分布する昆虫ですが、相模原付近ではこの10年ほどの間に急激に分布をひろげています。そんな話題とともに、悲鳴を上げたお母さんにも気を取り直してもらい、冬ごもりのようすをじっくり観察します。

 次に観察したのは、ジョロウグモの卵のかたまり。網でつくった袋の中に、ぎっしりと卵がつまっています。何個入っているんだろう?とみんなで考えながら観察。

 そして、植物の冬ごもり、落葉樹の冬芽に注目します。博物館の前庭には、ミズキとクマノミズキというよく似た種類の木が混在しています。葉っぱを見るとどちらもそっくりで見分けがつきにくいのですが、冬芽はぜんぜん違う形をしています。全体的にそっくりなのに、冬芽というパーツだけ似ても似つかない様子を観察しました。

ミズキ(上3枚)とクマノミズキ(下3枚)の葉
ミズキ(上3枚)とクマノミズキ(下3枚)の葉

 ミズキの冬芽
ミズキの冬芽

クマノミズキの冬芽
クマノミズキの冬芽

 

 ミニ観察会には、ふだん何気なく通り過ぎてしまっている身近な自然に、ちょっと目を向けてもらうという目的があります。いつもより少しだけ顔を近づけてみると、それだけで生き物たちの不思議が見えてくる。そんな発見を参加者のみなさんと共有したいと考えています。

 なお、ミニ観察会で参加者のみなさんに配布している「博物館のまわりの これな~んだ新聞」は、このホームページ上でも公開しています。そちらもぜひご覧下さい。(生物担当 秋山幸也)

博物館のまわりの これな~んだ新聞

木のくぼみに虫がごちゃごちゃ(平成23年12月)

90-05-23ikimono231202
越冬中のヨコヅナサシガメ 越冬中のヨコヅナサシガメ

   この季節、写真のように、黒・白・赤まだらの虫が、木の幹のくぼみにかたまっているのを見かけたことはありませんか?

 これは、ヨコヅナサシガメ(Agriosphodrus dohrni)というカメムシの一種の幼虫が、集団で越冬をしているところです。写真は、博物館の正面にあるクヌギの幹で撮影したものですが、桜の木で見られる事が多いようです。

 カメムシというと、植物の汁を吸うので農業害虫とされているものもありますが、サシガメの仲間は肉食性です。他の昆虫等を口吻で突き刺して、体液を吸うことによって餌をとっています。このため、不用意に掴むと刺されることもあります。

 その見慣れない風貌にびっくりされる方も多いようです。それもそのはず、この昆虫が関東地方で見られるようになったのは1990年代。もともと東南アジアや中国に分布していたものが、1920年代に九州に侵入し、分布を広げてきたと言われています。相模原市内でも10年程前には比較的珍しい昆虫でしたが、今は普通に見られます。

 日本列島を北上してきたことから、地球温暖化との関係を指摘する人もいますが、確かなことはわかっていません。

 寒い季節になりましたが、注意してみると意外にいろいろな生き物がいるものです。散歩の途中などで、ちょっと足を止めて、生き物さがしをしてみてはいかがでしょう。

(学芸班 木村知之)

 

絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)の自生地をめぐる

コマツカサススキ (カヤツリグサ科)
コマツカサススキ
(カヤツリグサ科)

  絶滅のおそれのある野生動植物(絶滅危惧種)をリストアップしてまとめたものを、レッドデータブックと呼びます。全国版は環境省が作成し、さらに各都道府県版がそれぞれの地域で作成されています。神奈川県では県立生命の星・地球博物館が学術報告書として刊行し、当館が日常的に行っている調査成果も、少なからずこれに反映されています。

 では、絶滅危惧植物とは実際、どんなものなのでしょうか。今回は、市内に生育する、とある絶滅危惧植物をご紹介します。ただ、絶滅危惧種という性質上、場所について詳しく書けませんがその点はご了承ください。

 9月中旬のある日、市内の休耕地へ行きました。県内で確実な自生地は、もしかしたらもうここにしかないかもしれないという、ある絶滅危惧種の現状を確認するのが目的です。それは、コマツカサススキというカヤツリグサ科の植物です。

 写真を見ていただいても、「これが絶滅危惧種?」と思われるかもしれません。植物の好きな人にとっては大型で“華々しい”カヤツリグサのなかまなのですが、一般的には“地味”な部類に入れられてしまい、ウケはあまりよろしくないようです。

 市内には、オキナグサ(キンポウゲ科:絶滅危惧1A類)やカザグルマ(キンポウゲ科:絶滅危惧1B類)といった“スター級”の絶滅危惧種もあります。でも、コマツカサススキだって、れっきとした絶滅危惧1A類で、野生状態にあって最も絶滅の危険性が高いランクに入れられています。

オキナグサ(キンポウゲ科)
オキナグサ(キンポウゲ科)

カザグルマ(キンポウゲ科)
カザグルマ(キンポウゲ科)

 

ミズニラ(ミズニラ科)
ミズニラ(ミズニラ科)

 絶滅危惧種は、特殊な場所にばかりあるわけではありません。この休耕地には、ほかにもミズニラ(ミズニラ科:絶滅危惧1B類)が生育しています。この植物は水性のシダ植物なので、花すら咲きません。よくよく注意して探さないと見過ごしてしまいます。

 今、県内で絶滅危惧種にあげられている植物には、水田雑草と呼ばれてきたものや、里山の植物が多く含まれます。耕作の形態や農地をめぐる社会情勢の変化など、さまざまな要因から水田や里山の雑木林が減少したり、環境が大きく変わってしまったりしています。こうした植物が、人知れず絶滅していってしまわないよう目を光らせておくのも、博物館の仕事なのです。(生物担当 秋山幸也)

 

巨大グモがでたっ!

 博物館へのお問い合わせの中に「家の中に巨大なクモがいる。危険なものではないのか。」というものがよくあります。クモの特徴をきくと、どうやら「アシダカグモ」らしい、という場合がほとんどです。

アシダカグモを上から見たところ
アシダカグモ

 アシダカグモというのは、日本最大のクモで、体長(頭からお尻の先までの長さ)が、大きな個体では3センチ位。足を広げた大きさは10~12センチくらい。「CD盤くらいの大きさだった」という表現もしばしば聞かれますが、実際には、足を広げてもCDよりふたまわりほど小ぶりです。いわゆる「クモの巣」のような網は張らずに、獲物を待ち伏せして捕らえる習性があります。人家に好んで住み、主にハエやゴキブリを食べています。そういった意味では、たいへんな「益虫」です。

 このクモに出会ったらどうしたら良いでしょうか?

 人間がわしづかみにしたりしなければ、クモの方から襲いかかってきたり、噛み付いたりする事はありません。そうっとしておきましょう。もし目障りな場合は、ほうきや軽く丸めた新聞紙などで追いやると良いでしょう。動きがすばやいので、捕虫網がないと、つかまえるのは難しいと思います。

 大変面白いことに、よく似た「コアシダカグモ」という種は、森や林でしか見かけません。どうやって住み場所を選んでいるのか不思議ですが、よりによってなんで我が家を選んでくれたのか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 しかし、人は見かけではありません。クモもまた同じです。その働きに免じて、居候を認めてあげても良いように思います。

(学芸班 木村知之)

 

カイコを育てる(4)-いろいろな繭のはなし(平成23年7月)

 (左)1頭で作られた繭と(右)玉繭
(左)1頭で作られた繭と(右)玉繭

  たくさんのカイコを育てていると、まぶしの1つの部屋にうまく1頭ずつ入ってくれるとは限りません。どうしても、2頭がいっぺんに入って繭を作ってしまうことがあります。ふつう繭は楕円体ですが、2頭で作った繭は少し大きめで球体に近く、しかも2頭分の糸が複雑に絡み合っています。このような繭を玉繭(たままゆ)と言います。

 生糸を生産するには、十数個の繭を煮てそれを1本に撚(よ)るのですが、この工程で、1頭で作られた繭と玉繭を一緒にすることができません。そこで、玉繭は生糸にせず、1個ずつ水でほぐして平面上に拡げます。これを乾かしたのが真綿(まわた)です。今、綿と言えば木綿や合成繊維が主流ですが、かつては布団に打つ綿と言えば、玉繭からつくられた真綿のことを指しました。 

交尾(左:オス、右:メス)
交尾(左:オス、右:メス)

 産卵するメス
産卵するメス

   さて、米や野菜を種子から育てるのと同じように、カイコも卵から育てます。養蚕では、卵(蚕種と言います)を生産する専門の業者がいて、たくさん糸を吐いて大きな繭をつくる優良な品種の作出に心血を注いでいました。

 蚕種を生産するには、カイコを成虫にしなくてはいけません。蛹になったカイコは、繭の中で12日ほどすると羽化して成虫になります。成虫は、繭を固めている「のり」を溶かす酵素を口から出して、繭をほぐすようにして出てきます。

 この穴あきの繭を、出殻繭(でがらまゆ)と言います。酵素は糸のまわりの「のり」だけ溶かして、糸の成分である絹タンパクを溶かさないので、この出殻繭の糸は、切れずにつながっています。撚り糸機にはかけられなくても、繊維として充分に利用できます。そこで、出殻繭をていねいに紡いで織物にしたのが、紬(つむぎ)です。絹の紬の産地は、たいてい、蚕種の生産が盛んだった地域と一致します。

 さて、撚り糸の工程で繭から出した蛹もまた、利用されてきました。佃煮にして子どもたちのおやつにしたり、家畜の飼料に混ぜられたりしました。今でも、釣具店に行くと釣り餌として「さなぎ粉」が売られていますが、これがまさに、カイコの蛹です。こうして余すところ無くさまざまに利用されてきたカイコのお話、まだまだ続きます。(生物担当 秋山幸也)

 

カイコを育てる(3)-繭になる(平成23年7月)

 ふ化してから4週間弱、体がやや縮んで飴色に透き通ってきたカイコを、「まぶし」に移します。まぶしとは、ボール紙を4センチ角くらいの格子状に組んだもので、博物館では職員が自作したものを使っています。

 まぶしの中で繭を作り始めるカイコ
まぶしの中で繭を作り始めるカイコ
だんだん丸い形ができてくる
だんだん丸い形ができてくる

  ふだん、餌が無くてもあちこち動き回らずじっと待っているカイコですが、このときだけは何かに突き動かされるようにウロウロします。繭(まゆ)をつくる場所を探し回るというよりも、ウロウロ動き回っているうちに、どうしようもなくなって同じ場所で糸を吐きまくっていたら繭になってしまった、という雰囲気です。

 糸を吐くと表現しましたが、正確には「引く」方が正しいかもしれません。繭をつくる糸は、カイコの体内の絹糸腺(けんしせん)という器官から、口のすぐ下にある吐糸管(としかん)を通って吐き出されます。しかし、体内ではまだ液体で、外に出て空気に触れた瞬間に固まって糸になります。そのため、カイコは常に頭を振って糸を引き出しながら繭をつくっていくのです。

そうしてまぶしの中に落ち着き、糸を吐き続けて半日ほどすると、うっすらと繭の外側ができてきます。さらに半日すると、はっきりと繭の形になりますが、中は透けてカイコが動いているのが見えます。丸2日ほどかけて繭が完成すると、中でカイコは脱皮して蛹になります。

 さて、農業としての養蚕は、産品である繭ができあがったこの時点で、まぶしから繭を取り外して出荷し、終了です。出荷された繭は熱乾燥して中の蛹を殺し、撚(よ)り糸の工程を経て絹織物の原料である生糸になります。農業から工業へのバトンタッチです。

 次回は、産品として余すところ無く使われてきた繭のいろいろについてのお話です。(生物担当 秋山幸也)

 

カイコを育てる(2)-どれくらいの期間で繭をつくるの?(平成23年7月)

 博物館では、今年もカイコを育て、実際に飼育のようすを3週間ほど展示しました。博物館の職員や、ボランティアとして毎週来られている市民の方々にも人気で、「大きくなったねえ」などと声をかけてもらいました。

さて、そんなカイコの成長についてよく尋ねられるのは、「ふ化してどれくらいで繭を作るのですか?」という質問です。「だいたい4週間弱です。」と答えると、ほとんどの方がその早さに驚かれます。少し詳しくご説明しましょう。

 カイコは一生のうち、6回脱皮をします。幼虫の間に4回、幼虫から蛹(さなぎ)になるときと、蛹から成虫になるときにそれぞれ1回ですから、合わせて6回です。最後の2回の脱皮は、繭の中で行われます。

 ふ化したばかりの1齢幼虫には毛が生えています。まだ体も頭も黒くて、知らなければこれがカイコとは思えません(カイコを育てる(1)参照)。産まれてすぐにクワを食べ始め、3日後にはもう最初の脱皮をします。2齢になると毛がなくなり、小さいながらも形はもうカイコらしくなっています。ただし、黒い斑点が体中に残ります。2回目の脱皮まで、やはり3日くらいです。この時、黒かった頭が褐色になり、色もカイコそのものになります。3齢は少し長くて、4日~5日くらい。3回目の脱皮の後、4齢はさらに少し長くて、6日くらいです。ちなみに、脱皮の前の1日~1日半くらい、カイコは頭をもたげて動かなくなります。体の内側で、新しい皮膚が作られているのです。この状態を、眠(みん)と言います。

 4回目の脱皮を終えると、いよいよ5齢(終齢)となります。5齢は7~8日で、このとき、カイコ1頭が一生に食べるクワの量(およそ25グラム)の8割以上を食べます。クワの葉をあげてもあげてもすぐに食べ尽くしてしまうので、担当者はしょっちゅう博物館の敷地内に植えられたクワの木へ葉を取りに行かなくてはいけません。他の職員から「たいへんだねえ」とねぎらわれるのもこの頃です。

3齢幼虫(眠の状態)
3齢幼虫(眠の状態)

5齢幼虫
5齢幼虫

クワの葉
クワの葉

 

 5齢になって約1週間、バリバリもりもりと食べ続けていたカイコが、突然食べなくなり、頭を八の字に振り始めます。体が少し縮み、色もなんとなく飴色に透き通った感じになります。これが、繭をつくり始める熟蚕と呼ばれる状態です。このタイミングで、繭をつくらせる「まぶし」に移すのですが、ここから先は次回といたします。(生物担当 秋山幸也)

 

カイコを育てる(1)-最も研究されている昆虫(平成23年6月)

 神奈川県の養蚕の灯は昨年秋、静かに消えました(バックナンバー「神奈川の養蚕、終わる」参照)。しかし、カイコは地球上で最も生物学的な研究が進んだ昆虫と言われています。発生のしくみから遺伝まで、膨大な研究成果が蓄積されています。

 たとえば遺伝学の祖、メンデル(1822-1884)がエンドウマメで発見した遺伝法則を、カイコを使っていち早く動物で実証したのが、神奈川県出身の外山亀太郎博士(1867-1918)です。また、外山博士はカイコの日本産品種とタイ産品種をかけあわせた一代雑種が著しく大きな繭をつくることを発見しました。この雑種強勢(ヘテローシス)という現象は今や、野菜や家畜の生産現場では常識となり、収量増加に大きく貢献しています。

 さらに、カイコはふ化の日にちをほぼ正確に調整することができます。休眠したカイコの卵を低温下に置いたのち、酸に浸けるなどの処置を施すことにより、休眠が打破されて発生が再開されるのです。この技術は、江戸時代から行われていました。

 このように、人間が飼育のためのさまざまな技術を発達させてきたカイコという昆虫は、生物学だけでなく、郷土の歴史や産業を学ぶための生きた教材として活用することができます。ふ化のタイミングをコントロールできることも、教材としてたいへん好都合と言えるでしょう。さらに有用性を補強するもう一つの大きなポイントは、「かわいい」ということです。ムシが嫌いという人でも、一度飼ってみると、たいていの場合カイコに限っては抵抗がなくなるようです。クワの葉を一心不乱に食べ続ける姿や、誰に教わるでもなく美しい繭をつくるようすは、何時間見ていても飽きません。

 相模原の、ひいては日本の近代化を支えたカイコという昆虫について、「生きものの窓」の中で引き続きご紹介していきたいと思います。(生物担当 秋山幸也)

カイコの卵とふ化したばかりの1齢幼虫
カイコの卵とふ化したばかりの1齢幼虫

脱皮前の2齢幼虫
脱皮前の2齢幼虫

 

春が来た(平成23年4月)

 この10年くらいの中で、今年ほど春の花を見ていない年はありません。そして、今年ほど春の花が待ち遠しい年もありません。

フデリンドウのつぼみ (平成23年3月30日撮影)
フデリンドウのつぼみ
(平成23年3月30日撮影)

 

フデリンドウの花 (平成22年4月初旬ころ)
フデリンドウの花
(平成22年4月初旬ころ)

 いつもの年なら駆け抜ける春を追いかけて、あっちへ行き、こっちへ行きと焦りながら走り回っています。しかし今年は遠出を控えて、身近な木々や草花の動きを見ています。すると、今まで春は足が速すぎると考えていたのが、じつは思い込みであることに気付きました。あちこち追いかけるから、速いと感じる。追いかけず、身近な場所に腰を据えて見ていると、その歩みは案外速くもなかったのです。むしろ、待ち遠しいくらいにゆったりと進んでいました。

 実際、今年は植物の動きが全体的に少し遅いようです。博物館の隣の林には、毎年たくさんのフデリンドウが咲きます。例年3月の末から咲き始め、4月に入ると遠目にも目立つようになり、中旬には数え切れないほどの花が咲き乱れます。しかし、今年は3月30日の時点でまだ1輪も咲いていません。やっとちらほらと、つぼみが伸びてきたところです。

 

ミミガタテンナンショウ (平成23年3月30日撮影)
ミミガタテンナンショウ
(平成23年3月30日撮影)

 ふとまわりを見回すと、ミミガタテンナンショウは他の植物の動きなど我関せず、というようにすくっと伸びて花を咲かせていました。こちらは例年とあまり変わりないか、むしろちょっと早いくらいのタイミングです。

 地球が回りさえすれば、必ず明日が来るし、季節はめぐります。決して裏切ることのない自然の歩みを、身近に感じる幸せがあります。一方で、牙をむいた自然の凶暴なエネルギーを目の当たりにして震え上がり、とまどい、そして残されたたくさんの悲しみに呆然とする私たちの姿があります。

 自然を相手にする仕事をしていながら、それを自然として冷静に扱う気構えはありません。ただ、身近なところに春が来ていることを見落とさないようにしよう、それを伝えようと考える毎日です。(生物担当 秋山幸也)

生きものの窓(平成22年度)

Posted on 2014年1月21日 by admin Posted in 博物館の窓, 平成22年度
  • 冬の河原(平成23年1月)
  • 神奈川の養蚕、終わる(平成22年12月)
  • キアシナガバチの巣(平成22年10月)
  • 最強のアザミ、あらわる!(平成22年7月)

冬の河原(平成23年1月)

 冬は生きものたちにとって厳しい季節。でも、厳しいからこそ、生きものたちの飾らない“素顔”が見られるのも、この季節です。

 1月。冬晴れのある日、緑区大島の相模川の河原にあるカワラノギクの保全地を訪れました。カワラノギクは、市内に自生する絶滅危惧植物です。種の保存のために、種子の採取と、越冬株(ロゼット株)の生育状況を調査するのです。この日は、博物館を拠点に活動する相模原植物調査会のみなさんと、丸石のすき間に生えるカワラノギクの株数を数えたり、同じような環境に生育するカワラハハコの分布状況を調査したりしました。

カワラノギクの調査の様子
カワラノギクの調査の様子

 調査の後、保全地のまわりを歩いて自然観察を楽しみました。すっかり葉が落ちた夏緑樹は、一見すると命の営みを止めてしまったかのように感じられます。しかし、春への準備は着々と進んでいます。アカメガシワやニガキの冬芽はたくさんの毛に覆われていて、毛糸の帽子をかぶったようです。これなら河原の強い寒風にも耐えられそう。

カワラノギクのたね
カワラノギクのたね

アカメガシワの冬芽
アカメガシワの冬芽

ニガキの冬芽
ニガキの冬芽

ニガキの冬芽
ニガキの冬芽

アカメガシワの若葉(6月頃
アカメガシワの若葉(6月頃

 ニガキの展葉(4月頃)
ニガキの展葉(4月頃)

 カワラノギクの花(11月頃) アカメガシワの若葉(6月頃) ニガキの展葉(4月頃)  葉が茂っている時には気付かなかった、鳥たちの巣もこの時期は簡単に見つけられます。低い位置に作るホオジロ、ちょっと高いところにはヒヨドリ、もっと高いところにはハシボソガラス。こんなにあったんだ!と思うくらい、河原には鳥たちの巣がたくさんあります。

ヘクソカズラの果実
ヘクソカズラの果実
ヘクソカズラの花(7月頃)
ヘクソカズラの花(7月頃)

 体全体に鋭いトゲをまとったサイカチは、葉が茂っている頃よりもトゲが目立ち、攻撃的です。ここまで徹底して武装するのには、遠い昔、食害する動物たちとよほど激しい戦いの歴史があったのでしょう。

 この時期も黄金色の光沢を失わないのは、ヘクソカズラの果実。人間にはひどい名前をつけられてしまいましたが、ヒヨドリなどの鳥たちにとっては大切な冬の食料です。

  観察を終えて帰途につこうとふと空を見上げれば、ノスリが円を描いて飛んでいます。抜けるような青空をおう歌するかのように、高く高く、見えなくなるくらい高く舞い上がっていきました。(生物担当 秋山幸也)

ホオジロの古巣
ホオジロの古巣

サイカチのトゲ
サイカチのトゲ

 大空高く飛ぶノスリ
大空高く飛ぶノスリ

 

神奈川の養蚕、終わる(平成22年12月)

桑畑で桑とりをする笹野さん夫妻
桑畑で桑とりをする笹野さん夫妻
 給桑する笹野さん
給桑する笹野さん

 日本の近代化を支えた養蚕と生糸の輸出。相模原はかつて県内でも有数の、養蚕の盛んな地域として知られていました。桑都八王子と生糸の輸出拠点であった横浜港をつなぐのが、いわゆる「絹の道」(神奈川往還)です。市域東部の主要な交通路である国道16号、町田街道、そしてJR横浜線は、繭や生糸の輸送効率を上げるために整備されてきた側面があります。

 その養蚕も近年は急激に生産量が減り、養蚕農家は数えるほどになっていました。そして今年秋、とうとう相模原から、いえ、神奈川県から養蚕の灯が消えることになったのです。

 近代以降の養蚕は、農家が卵(養蚕の世界ではタネと呼びます)から育てるわけではありません。優良な品種を安定して供給するため、孵化後しばらくは一括して営農センターなどが人工飼料を使って飼育し、2回脱皮をして3齢幼虫になったところで各農家へ配布するのです。そのため、1軒だけで養蚕を続けることはできません。今年、県内の養蚕農家は12軒。そのうち、4軒が相模原市内でした。

 博物館では、市内の養蚕農家である緑区上九沢の笹野さんと緑区根小屋の菊池原さんを取材し、菊地原さんのお宅では一連の作業を映像に収めました

 養蚕はたいへんな重労働です。3齢からさらに2回脱皮するまで2週間とちょっと。それまでは、脱皮前に2日ほど動きを止める「眠」の期間を除いて、ひたすら桑をあげ続けなくてはいけません。終齢の5齢になったカイコが桑を食べる勢いは、尋常ではありません。枝ごとあげた桑の葉が、みるみるうちに葉脈だけになってしまいます。

  5齢になって8日ほどすると、カイコの体全体が飴色になります。これが、糸をはく直前の「熟蚕」です。このタイミングを見計らい、繭を作らせる「まぶし」に移すのですが、この作業の前にも大仕事があります。カビや寄生虫に弱いカイコを守るため、まぶしも部屋も消毒を行うのです。繭ができて中でさなぎに脱皮した頃、今度はまぶしから繭をはずしてケバを取り、ようやく出荷となります。

まぶしの上をはいまわる熟蚕
まぶしの上をはいまわる熟蚕

 2010(平成22)年は、神奈川の養蚕が終了した年として歴史に刻まれました。しかし、産業としての養蚕が終わっても、その伝統技術や生物工学的な研究成果、そして教育素材としての利用の道はまだ残されていますし、それを後世へ伝えていかなくてはなりません。博物館でも、今後は文字どおりの「生きた理科教材」として利用していきたいと考えています。(生物担当:秋山幸也)

 

キアシナガバチの巣(平成22年10月)

 博物館に巣を作ったキアシナガバチの巣
博物館に巣を作ったキアシナガバチの巣

 これは、キアシナガバチの巣です。7月初旬から博物館正面入り口前の通路の天井部分に巣をつくりはじめました。木々に囲まれたこの博物館では、建物の周囲に毎年どこかしらで巣がつくられます。見やすい位置にある場合は、生きた展示物として案内表示を出してご来館のみなさまに観察していただいています。

 殺虫風景
殺虫風景
キアシナガバチの死がい
キアシナガバチの死がい

  しかし今年、キアシナガバチが巣の場所に選んだのは、よりによって通路の真上。注意を呼びかける張り紙とともに、しばらくようすを見ていました。折しも小惑星探査機はやぶさのブームでたくさんの方がご来館される中、来館者とのトラブルもなく、ハチたちの子育ては順調に進みましたが、8月下旬に、館内へ迷い込んだハチが来館者を刺してしまう事態がおきました。そこで8月25日、これ以上の被害を出さないために巣を撤去しました。

 来館者に被害が及んでしまったこと、結果的に子育てのピークにあるハチを、幼虫ごと殺してしまったことは、誠に申し訳なく、残念な結果です。昔から、軒にハチが巣を作るのは、その家の繁栄を象徴する縁起のよいものとされてきました。国際生物多様性年の今年、10月に名古屋でCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されます。現代を生きる私たち人間と生きものとの共生の難しさを、改めて考えさせられました。(生物担当:秋山幸也)

オオスズメバチとキアシナガバチの比較

左がオオスズメバチ、右がキアシナガバチ
左がオオスズメバチ、右がキアシナガバチ
キアシナガバチ

 木の枝や軒先などに、巣を作ります。オオスズメバチのようなスズメバチ類に比べて小さめで、見た目がほっそりとしており、攻撃性もそれほど強くありません。巣を揺らしたり、手で払ったりしなければ、めったにさされる事はないと言われています。仲間にはセグロアシナガバチがいます。

オオスズメバチ

 日本最大のハチで、樹洞や屋根裏などに大きなボール状の巣を作ります。攻撃性が強く、巣の近くを通っただけで刺される事があります。仲間には、キイロスズメバチ、コガタスズメバチなどがおり、いずれも攻撃性が強く、刺傷例がよく報道されるのはこの仲間です。

 

最強のアザミ、あらわる!(平成22年7月)

 毎年、なにかしら新しい外来植物が入ってきて、あるものは消滅し、あるものは定着して分布を広げていきます。こうした外来植物がいつ、どのような経路で入ってきて、どう広まっていくのか。それを知るために、私たちは外来植物の情報に日々アンテナを張り巡らせています。

90-05ikimono220702 90-05ikimono220701 2010年5月、このアンテナがすごい外来植物の情報をキャッチしました。オオアザミというキク科の植物です。日本に渡来した歴史は古いのですが、神奈川県ではまだ野外の記録がありませんでした。それが横浜市の西のはずれ、相模原市からも近い場所に堂々と咲いているというのです。早速行ってみると、遠目にもわかる大きな株がありました。

 頭花を包む総苞という部分に、拷問具を連想させる4センチほどの強大なトゲがあります。もちろん、葉も茎もトゲだらけ。たくさんのアザミを見てきましたが、こんな攻撃的なトゲを持つ種類は見たことがありません。これを引っこ抜こうとするなら、手も腕も穴だらけになってしまいそうです。

 オオアザミよりもう少し小ぶりのアメリカオニアザミが今、幹線道路沿いに増えています。これも、草丈が伸びて気づく頃にはトゲだらけでうかつに触れないため、抜かれずに広まっているようです。オオアザミが相模原の路傍に幅をきかせる日も遠からず訪れるかもしれません。(生物担当:秋山幸也)

« 前ページへ
次ページへ »

R7年度開館日カレンダー

R7年度博物館開館日カレンダー

プラネタリウム

ネットで楽しむ博物館

RSS 相模原市立博物館の職員ブログ

  • ヤマトシロアリの結婚飛行 2025年(シロアリの群の画像あり)
  • バードウイーク
  • 緑区三ケ木の村芝居

相模原市立博物館 ・ X

【公式】相模原市立博物館 (@sagamihara_city_museum) ・ Instagram

おびのっち

尾崎咢堂記念館

吉野宿ふじや

相模原市ホームページ

相模原市立博物館

〒252-0221
神奈川県相模原市中央区高根3-1-15
TEL:042-750-8030
FAX:042-750-8061
E-mail:
hakubutsukan@city.sagamihara.kanagawa.jp

※E-mailでの問い合わせの際は、ドメイン「@city.sagamihara.kanagawa.jp」からのメールが受信できるよう設定をお願いします。

CyberChimps ©2025