- 市域最北の寛文総検地帳などとの出会い(平成23年3月)
- 相模原の”正倉院”に!?~博物館資料の保存(平成22年12月)
- 博物館資料をスモークする!?~くん蒸消毒(平成22年10月)
- 資料保管への第一歩~クリーニング(平成22年7月)
市域最北の寛文総検地帳などとの出会い(平成23年3月)
緑区佐野川にお住まいの方から貴重な古文書類の寄贈を受けました。
佐野川村御水帳」 寄贈された古文書類は、神奈川県及び旧藤野町により、すでに目録化され、整理用封筒に収納され保管されていました。資料数は600件1400点にのぼり、一部の資料は『藤野町史』にも紹介されていますが、多くの資料はまだまだ世に知られていない貴重なものばかりでした。
一例をあげると、「相州津久井領愛甲郡(津久井領之内)佐野川村御水帳」です。これは、時の老中・久世大和守広之支配時に、寛文4(1664)年津久井の村々の検地を一斉に行ったときの記録の副本と思われ、畑・田・山畑・屋敷の4冊からなり、保存状態は良好でした。市内に残る他の久世氏寛文総検地帳と同様、前代の永高ではなく石高で記載されており、近世農民支配の本格的な始まりを理解できる貴重な文献を博物館の資料に加えることができました。
寄贈された資料は、今後既刊の目録と照合し、再整理を進め、博物館資料として活用を図りながら次世代に引き継いでいきます。古文書などの貴重な資料をお持ちで、継承にお困りの場合には、一度博物館までご連絡ください。(歴史担当:土井永好)
相模原の”正倉院”に!?~博物館資料の保存(平成22年12月)
博物館資料は、くん蒸が完了すると次に分類・整理(登録)が待っていますが、ひとまず専用の施設に収納して次の作業に備えます。その施設は通常、どの博物館でも「収蔵庫」と呼んでいる部屋を指します。
歴史分野では、大部分を特別収蔵庫・古文書収蔵庫・生活資料収蔵庫に収めており、郷土の先人たちが残した貴重な品々を将来に伝えます。特に、ぜい弱な紙資料を多く保管する特別収蔵庫と古文書収蔵庫は、建物コンクリートから出る湿気に対して特殊防湿パネルと北米杉を用いた二重壁及び木製の天井・床で六方を囲み、二酸化炭素放出消火機器と合わせて大切な市民の財産を守っています。また、卓越したその構造により、国宝・重文級の資料を借り受ける場合に一時保管が公認されるほどの設備環境を整えています。今回は、普段お目にかけることのできない博物館の舞台裏を紹介してみました。(歴史担当:土井永好)
博物館資料をスモークする!?~くん蒸消毒(平成22年10月)
前回は資料受入の際の事前クリーニングについて話しましたが、資料保存に向かう次のステップとして虫菌害防除の一例をご案内します。
古来、日本人は自らの生活必需品を害虫やカビから守るために虫干し(曝書・曝涼)の作業や調度品等に通気性や忌避性のある材料を用いることを通じ、経験的効果的な対策を施し忍び寄る魔の手を防いできました。一方、国内博物館におけるそれは、技術的充実や費用対効果の面から薬剤を使用する方法がここ40年来の主流のようです。その中でも定番は、「ガスくん蒸処理」と言えましょう。
当館でも、これまで年間定期的なくん蒸消毒を実施しています。直近では残暑厳しく害虫の活動も活発な9月初めに今年度2回目の作業を行いました。手法上は「被覆くん蒸法」。ガス化した薬剤を、対象資料を集めシート等で密閉した場所に一定時間封入・浸透させるものです。効果は、ビンに詰めたサンプルのコクゾウムシの死滅確認で判断します。処理後はガスの蒸発拡散が早いため人体への影響はなく、収蔵庫格納等予定する次の作業を円滑に進めることができます。(歴史担当:土井永好)
資料保管への第一歩~クリーニング(平成22年7月)
4月の着任早々、歴史分野の新規寄贈・寄託資料にめぐり合うこととなりました(多少の戸惑いも感じつつ…)。尾崎咢堂翁にゆかりの深い品々をはじめとして、数多くの貴重な資料群でとても圧倒された次第。今日までそして明日からもずっと続く地道な資料の収集活動―現況確認と受入、そして点検等を経て保管に至るまでの作業の中では<驚き><悲しみ><喜び><感謝>の気持ちも当然に湧いてきます。そうしたモノとの出会い話や耳寄りなトピックなど、新しい担当職員が見た“ものヒストリア”を紹介していきますので、お気軽にお読みください。
所蔵元で永く大事に伝えられてきた品々も埃やクモの巣、カビ等の攻撃にさらされている状況が見受けられます。博物館に運ばれてくるのはそのままの場合が少なくありません。そこで、薬剤消毒(くん蒸)をかける前に資料のクリーニング作業できる限りのクリーニングを行う必要があります。モノの材質や状態によってはブラッシングや水洗いを済ませておくことにより他への害の波及を未然に防ぎ、くん蒸効果を高める算段です。資料との結びつきを強める第一歩と言えましょう。(歴史担当:土井永好)