2郷土の歴史
原始の人々
旧石器時代は氷河期に当り、人々は大陸からマンモスやオオツノジカなどの大型動物を求めてやってきました。
旧石器時代の人々は、相模原台地のなかでも古い時期につくられた上段の相模原面を中心に活動していました。しかし、近年では平成9年に発見され国指定史跡となった田名向原遺跡をはじめ、中段の田名原面でも遺跡が発見されています。 旧石器時代の相模原台地は、気温が低く、現在の北海道のような気候だったようです。 地球の温暖化は、日本列島に縄文文化と呼ばれる新たな文化をはぐくみました。縄文時代の人々は、食料を狩猟や採取によって得ることでくらしていました。
原始の芸術
縄文土器は、ホームメイドで、祖母から孫娘へと製作法が伝えられたと考えられています。縄文時代は1万年以上も長く続き、各地に様々な特徴ある文化が栄え、そして衰退しました。相模原では今から4,500年ほど前の時代が最も栄えました。
村の移り変わり
弥生時代の終りから古墳時代にかけて、それまで絶えて人影のみえなかった相模原に、人々は再びやって来ました。古墳時代の後期には、境川や相模川のほとりに村がいくつもでき、古墳も造られるようになりました。奈良や京都に都が定められたころ、相模原の村は河川沿いの各地に広がり、都との関係や仏教文化の影響を受けた様々な文化遺産が出土しています。 武士が政治の中心となった時代、相模原の各地の村々も武士の支配下に置かれ、各地に城跡などの伝承が残されています。 戦国時代には、無量光寺が位置する当麻に関所が置かれ、北条氏の交通の拠点として重要視されていました。
仏教遺産
相模原には、鎌倉時代の末に開かれた無量光寺をはじめ、各地に伝統ある寺社があります。また、室町時代以降は村々の支配層にも仏教は広まり、各地に仏塔が残されています。