考古の窓
えっ?ゴマ?(平成29年6月)
博物館に入るとまず目につくのが、壁面ガラス越しに見える林でしょうか。相模原の台地に広がる雑木林をイメージした中庭の植栽です。6月8日、この中庭の一角にエゴマの苗を植えてみました。エゴマよりも「エゴマ油」と言った方が、最近ではピンとくる方も多いかもしれませんね。美肌効果やがん予防、高血圧予防などなど、健康食材として度々テレビにも紹介されている、あのエゴマです。
エゴマといっても植物学的にはゴマの仲間ではなく、お刺身や天ぷらなどでもお馴染みのシソの仲間になります。高さが1mくらいまで成長する1年草で、葉や実などはシソと非常によく似ています。苗は5~6月頃に植えて、9~10月頃にはかわいらしい小さな白い花を咲かせ、油をたくさん含んだゴマ粒状の実(種子)を実らせます。
エゴマの民俗はどうでしょう。郷土の利用植物として馴染みが深いのは、主に東日本の山村のようです。名称も様々で、例えば福島方面では「ジュウネン」、新潟・長野方面では「エクサ」、石川方面では「エイ」と呼ばれています。エゴマを炒ってすり潰し、味噌に混ぜてお餅につけて食べる「ジュウネン餅」は、福島の伝統的な郷土料理です。エゴマは食だけではありません。有名な会津塗や春慶塗といった漆塗りでも、透明度の高い透漆(すきうるし)を精製するのにエゴマ油は欠かせない存在です。防水効果から、雨傘などにエゴマ油が利用されることも古くからある伝統工芸技術です
歴史の中のエゴマを紐解けば、古代の「東大寺正倉院文書」や「延喜式」にも度々登場しますが、古の名は「荏」・「荏子」や「荏油」で、「エゴマ」と呼ばれるようになったのは、江戸時代頃とみられています。平安時代の相模国でも栽培されており、朝廷へ貢納する薬として「荏子」が「延喜式」に記されています。9世紀にはエゴマから油を搾り取る搾油機も考案され、社寺や公家の燈油用にエゴマ油が大量に作られていったようです。戦国時代の津久井城跡の発掘調査で出土した灯明皿(かわらけ)にも、科学的な分析データからエゴマ油が燈油として使われていたとみられています。
元をたどってエゴマの原産地はインドや中国といわれています。ではいつごろ日本に伝わってきたのかというと、古代よりさらに古い縄文時代まで遡ります。「えっ?」と思われるかもしれませんが、縄文人もエゴマを食していたんですね。特に5,000年前頃にはかなりの量を収穫していたとみられ、炭化したエゴマ種子の塊などが長野県を中心に発見されています。最新の考古学の研究成果では、土器づくりの際の粘土にエゴマが多量に混入して作られた縄文土器が確認されるようになってきました。ここ2~3年のお話です。
博物館にもたくさんの縄文土器が保管されていますが、今年の2月、収蔵庫の中からエゴマとみられる種子が練り込まれた縄文土器を見つけました。現在、詳しい調査分析を進めているところなので、中庭に植えたエゴマの成長と合わせて、結果が楽しみです。