津久井の撚糸(ねんし)や水車の話を聞きました
夏の暑さが残る9月15日(木)、「串川流域の撚糸業」をテーマとした座談会が津久井町史編さん会議室で開かれました。この座談会は、津久井町史の機関誌『ふるさと津久井第5号』(平成24年3月刊行予定)で「養蚕と織物」の特集を組むにあたって企画したものです。
「撚糸」とは、1本または2本以上の生糸を引きそろえて撚り(より)をかける(ねじりあわせる)ことをいいます。絹織物はおよそ養蚕→製糸→撚糸→染色→製織という工程を経て作られ、撚糸の工程では、織物の種類など用途にあわせて撚り方や太さを調整しながら、細い生糸を撚りあわせて織物用の糸を作ります。
撚糸といえば愛川町の半原地区が有名ですが、もともと養蚕・製糸や製織が盛んだった津久井地域でも、明治~昭和にかけて、串川流域を中心に撚糸が盛んに行われるようになりました。明治~大正頃には、撚糸の機械を動かす動力として水車が利用され、串川流域には130台以上の撚糸用水車があったことが近年の調査で確認されています(津久井町文化財保護委員会編『つくい町の水車』、平成16年)。
しかし、動力が水力から電力に変わり、撚糸業が衰退した現在では、串川流域に残る水車は一つもなく、かつて盛んだった撚糸を知る人も少なくなりました。
そうした中、撚糸に関する座談会を企画し、ご出席いただける方を探したところ、串川流域にお住まいで撚糸関連の仕事に携わった経験のある4名の方が集ってくださいました。2時間にわたる座談会では、沼謙吉氏(津久井町史編集委員会近代・現代部会長)の司会のもと、出席者の皆さんから、串川沿いにあった水車のこと、撚糸の機械のこと、生産していた糸や販売先のことなど、自らの経験に基づく貴重なお話をうかがうことができました。
また、座談会の前週に開かれた津久井町史懇話会においても、座談会の内容に関連して、津久井地域の水車のお話をうかがう機会を得ました。ここでも、地元に詳しい皆さんから、水車があった場所やその用途、水車を修理する機械大工の話など、興味あるお話をうかがうことができました。
この座談会の内容を地域の皆さんにお伝えするとともに、記録として後世に残していくため、現在、『ふるさと津久井第5号』への掲載に向けた編集作業を進めています。また、町史懇話会でのお話は、座談会の記事をまとめる際の参考とするとともに、地域に関する貴重な情報源の一つとして活用するため、テープ起こしの作業を行っています。
普段当たり前にあることは、記憶には残っても記録には残りにくいものです。仮に、書類や写真が残ったとしても、それが大事と思われなければ、いずれなくなってしまうことでしょう。今回、たくさんのお話をうかがう中で、これからも多くの人やモノや自然に触れ、地域にとって大切なもの、将来に伝えたいことを見逃さないようにしたいと感じています。(町史担当:草薙由美)