カテゴリー別アーカイブ: 平成22年度

民俗の窓(平成22年度)

祭り・行事を訪ねて(10)~相原地区の榛名講~(平成23年2月)

榛名神社(八王子市寺田町)
榛名神社(八王子市寺田町)  
 榛名神社というと群馬県が有名ですが、実は相模原と係わりの深い

榛名神社(八王子市寺田町)
榛名神社(八王子市寺田町)

榛名神社が八王子市南部の寺田町にもあるのをご存知でしょうか。春先に雹(ひょう)にあうと農作物に大きな影響があり、特に春蚕のための桑に良くありません。雹が降らないことを願うために、津久井地域や旧相模原市域北部の集落を中心にこの榛名神社が信仰され、かつては3~4月頃に神社に代表者がお参りしてお札を受けて来て榛名講を行うことが見られました。
 今回は、相原・森下地区の大門講中で実施されている榛名講の様子を紹介します。
 今年(2011年)の大門講中の榛名講は祝日の2月11日に行われました。当日の午前中に当番の2名の方が寺田町の神社社務所を兼ねている個人の方の家を訪ねて、榛名神社の大きな紙のお札を求めます。この後、相原に帰ってきて、近所の竹やぶから適当な竹を伐り出してお札を挟むものを作ります。榛名講は午後7時から地区の自治会館で行われ、「榛名神社」と書かれた掛け軸や蚕神(かいこがみ)を描いたものを飾り、お札を挟んだ竹も同じところに置きます。当日の参加者は17名の方で、今では次年度の自治会の役員を決める打ち合わせも兼ねているため、まず自治会の事業報告や役員の人選が行われた後に宴会に移ります。なお、お札を挟んだ竹は後日、近くにある石仏の所に立てられ、翌年までそのままにしておきます。

お札を竹に挟む
お札を竹に挟む
榛名講で飾られる掛け軸
榛名講で飾られる掛け軸
 榛名講の様子
榛名講の様子

お札を竹に挟む 榛名講で飾られる掛け軸 榛名講の様子  大門講中でもかつては4月に行ったようで、順番に当番の家に集まり、かなり昔は各人が米などを持ち寄って榛名講を実施していたことが帳面類から分かります。また、他の集落ではむら境に榛名神社のお札を置いたり、各家でも畑に雹除けとしてお札を立てたりするのがあったことが報告されています。現在ではめっきり少なくなった榛名講は、実施されている大門講中でも豊作祈願や雹除けというより地区の役員決定の機会としての性格が強くなっています。それでも畑作や養蚕が大変盛んだったこの地域の信仰を伝える行事として、大変貴重なものと言えるでしょう(民俗担当 加藤隆志)。

祭り・行事を訪ねて(9)~緑区与瀬・横橋地区の秋葉神社の火祭り~(平成23年3月)

  緑区与瀬(旧相模湖町与瀬)横橋地区の秋葉神社の祭礼である火祭りを紹介します。
 横橋地区のうち、祠がある横道はJR相模湖駅から西方に約20分ほど歩いた所の集落で、甲州街道の旧道のいくつかの石仏が並ぶ傍らの道を登った山の上に祠があり、さらに西側に位置する橋沢集落とともに秋葉神社を祀っています。江戸時代の終わりの大火によって講ができて火防せの神として祀るようになったと伝えられ、元は3月17日に行われていましたが、現在では3月17日近くの日曜日に火祭りが行われています。
 当日は、まず地元自治会による秋葉神社周辺などの掃除の後、火祭りに燃やす松明作りなどが主に「若葉会」によって行われます。若葉会はさまざまな活動を行う地元有志の会で、以前は個々の家で用意をしていた松明も、今では燃やすヒデ(松の根)集めや松明の作成をはじめとして火祭りの実施まで、若葉会が実際の行事を一手に引き受けています。
 松明は、太い竹の先をいくつかに割って拡げた先に松の根のヒデを挟み込んで針金で縛り、竹の反対側は地面に刺せるように半分削ります。横道と橋沢全部で62世帯あるため昨年(2010年)には70本作られ、一度に30数本ずつ二回交代で燃やしました。また、古くは各家から祠まで松明を持ち上げて立てたものの、今では道の上側の場所に二mほどの間隔で穴を掘って松明を立てています。午後7時頃に松明に一斉に点灯されると実に幻想的な光景がかもし出されます。松明はしばらく燃えていてヒデが落ちてしまったのは拾い、消えたら新しいものと取り替えていきます。風が強いと実施できませんが、幸いにしてここ20年ほどの間では中止になったことはないとのことです。松明はどんどん燃えるため一時間ほどで火祭りは終了となりました。
 今後、ヒデが用意できるかなど課題も多いとのことですが、これからも長く続いて欲しい行事です。(民俗担当 加藤隆志)
*2011年は3月13日(日)の午後7時から行われる予定でしたが、中止となりました。

 松明作り 松の根を竹の先に挟み込む作業をしています
松明作り
松の根を竹の先に挟み込む作業をしています
 夜空に燃える松明
夜空に燃える松明

祭り・行事を訪ねて(8)~復活した荒川集落のドンドヤキの飾り~(平成23年1月)

 緑区二本松地区にある八幡神社は、元々は城山ダムの建設によって津久井湖の湖底に沈んだ荒川地区の氏神で、荒川の多くの人々が移転することとなった二本松地区に祀られている神社です。この神社の境内でもドンドヤキが行われており、今年(2011年)は正月15日(土)の朝8時からの予定で実施されました。数年前にはダイオキシン等の問題で一時、中止していた時期もあるとのことで、それでも3年ほど前から復活し、子どもたちをはじめ多くの参加者で賑わっていました。
 二本松のドンドヤキの飾りで注目されるのが、正月飾りなどを積み上げたものの中心に立派なお飾りやダルマを上側に取り付けた竹が立てられることです。これは津久井地域ではよく見られる形で、実は再度、神社でドンドヤキを行うに当たって荒川地区で行っていたものを復元して作るようになったそうです。荒川では、昔からこの行事を「団子焼き」と呼び、焼いた団子を食べると風邪を引かないということでその年の無病息災を願い、焼いた松の焼け残りを持ち帰って家の入り口に置くと泥棒よけになると言われていました。
 もちろん、荒川では子どもたちが各家に下げられた正月飾りを集めたり、もっと大きな竹を山で普段から探しておいて期日が近くなると伐りに行き、燃やすのも14日の夜でしたが、現在では住宅地の中にあって昔通りに行うことはできません。また、現在ではこの地区でも多くの家が建てられ、神社の氏子や役員の方も荒川から移転されてきた方々より他地から引っ越してきた住民が多くなっています。それでも荒川の方々が二本松地区に移転されてほぼ50年になろうとしている今日、八幡神社のドンドヤキの飾りはそうした歴史の印を行事の中に留め、さらには二本松地区にお住まいのさまざまな人々の交流のシンボルとしても大事なものになるのではないかと思いました。(民俗担当 加藤隆志)

飾りの上部 立派な正月飾りや ダルマがみえる
飾りの上部
立派な正月飾りや
ダルマがみえる
ドンドヤキの飾りに 点火されたところ
ドンドヤキの飾りに
点火されたところ
多くの参加者で賑わう
多くの参加者で賑わう
昭和36年正月、水没前に 最後に行われた団子焼き (八木孝雄さん提供)
昭和36年正月、水没前に
最後に行われた団子焼き
(八木孝雄さん提供)

祭り・行事を訪ねて(7)~緑区寸沢嵐・増原と各地域の団子焼き~(平成23年1月)

 今年も市内各地で賑やかに団子焼き行事が行われました。かつては正月14日に行われることが一般的だったこの行事も、現在では地区や自治会の都合で今年(2011年)の場合は8日(土)から16日(日)頃までのさまざまな日に実施されており、今年も時間の許す限り各地の様子を見学させていただきました。ここでは緑区寸沢嵐の増原自治会の団子焼きを中心に記すことにします。
 増原の団子焼き(最近はドンドヤキということも多くなったそうです)は10日(日)に行われました。午後3時の点火予定ということで1時過ぎから準備が行われ、正月飾りを集めて燃やすための穴を掘ったり、各家から道祖神の石碑の前に納められたお飾りを運んだりします。また、増原では数年前から、現在は作られることも少なくなった繭玉飾り(木は梅やつげの木を用い、ダンゴバラといったそうです)を模したものを燃やす場所の一角に飾っており、ミカンをたくさん付けています。「祭り・行事を訪ねて」(6)で紹介している根小屋地区の事例ではミカンはありませんでしたが、ここでは昔からミカンをたくさん付け、ミカンを子どもが食べたくて仕方なかったと言います。また、この飾りのユニークなのは、実は米の粉の団子ではなくマシュマロを使っていることで、三つ又の枝に刺した団子を焼いた後にマシュマロも枝に刺して火であぶって食べており、なかなか甘くておいしいものでした。団子焼きにはたくさんの老若男女の皆さんが集まり、新年の挨拶とともに楽しく歓談されている姿を拝見することができました。この行事は、単に正月のお飾りを燃やして団子を焼くだけでなくて地区の人々の大きな交流の場となっていることがよく分かり、地域にとっても大切なものとしてこれからも長く続いていくことでしょう。

石碑の前に納められた お飾りを運ぶ
石碑の前に納められた
お飾りを運ぶ
飾られた「繭玉飾り」 団子の代わりにマシュマロ が付いている
飾られた「繭玉飾り」
団子の代わりにマシュマロ
が付いている
地区の人々が集まってきて 団子焼きをする
地区の人々が集まってきて
団子焼きをする

  なお、今年、津久井地域(旧城山町・津久井町)で見られた、お飾り等を集めて積み上げた様子をいくつか紹介します。いずれも14日に撮影したもので、場所によって形が違っていることなど、いくつか注目される点があります。(民俗担当 加藤隆志)

緑区川尻(城北)
緑区川尻(城北)
緑区葉山島(下倉)
緑区葉山島(下倉)
緑区三ヶ木(原替戸)
緑区三ヶ木(原替戸)
青山神社(緑区青山)
青山神社(緑区青山)
緑区青野原(西野々) 会場に飾られる団子飾り
緑区青野原(西野々)
会場に飾られる団子飾り
緑区青野原(西野々)
緑区青野原(西野々)
緑区青根(上青根)
緑区青根(上青根)

祭り・行事を訪ねて(6)~緑区根小屋の繭玉飾り~(平成23年1月)

 現在、正月の団子焼きは市内各地でも盛んに行われていますが、個人の家で繭玉団子を作ることはめっきり少なくなってしまいました。かつては、正月13日に各家で、養蚕によってたくさん繭ができるように大きな繭玉飾りを作るほか、神仏に供える団子や翌日の団子焼きに燃やすものを作ることが普通に行われていました。緑区根小屋の菊地原さんのお宅では今でも自宅で繭玉飾りを作っており、ここでは今年(2011年)見させていただいた内容を紹介します。
 繭玉作りは13日の夕方に行われます。家によって団子を飾る木は異なりますが当家では梅の木をもっぱら用い、床の間の前に台とする石臼を置いて臼の穴に梅の木を刺し込んで梅の枝に蒸かした団子を付けていきます。他の家では団子とともにミカンを飾ることもあったものの、小便繭といって汚れた悪い繭ができるとしてミカンは決して付けなかったそうです。また、かつては繭がたくさん取れるように、オシラサマと呼ぶ女の神様を描いた掛け軸を床の間に吊るしていました(これは今は行っていません)。今回は、お孫さんと一緒にきれいに飾っていただきました。
 翌日の14日の朝には、中に焼いた餅を入れた「糸引き粥」といわれるお粥を作って繭玉飾りの前に供えるとともに、家族も朝食としてこの粥を食べます。そして、16日まではそのまま置いておき、16日朝には「繭かき」といって梅の木から団子を取り外します。団子は乾いてコチコチになっていて今はあまり食べることはなくなっています。以前は保管しておき、茹でてしばらくの間は食べていました。菊地原さんはこのほか各種の正月飾りも自分で作るなど、昔からの家の行事を続けておられます。今では少なくなったこのような地域に伝わってきた行事を私たちも大切にしていきたいものです。(民俗担当 加藤隆志)

繭玉作り お孫さんもお手伝い
繭玉作り
お孫さんもお手伝い
繭玉飾り 手前に糸引き粥が見える
繭玉飾り
手前に糸引き粥が見える
16日朝の繭かき
16日朝の繭かき

祭り・行事を訪ねて(5)~南区磯部地区の薬師堂~(平成22年12月)

 地域の中には宗教法人名簿に載せられているような神社や寺院とは別に、地元の方々が大事にお祀りしているお宮や堂がよく見られます。それらは稲荷であったり観音や不動などいろいろなものがありますが、今回はその中から、今年(2010年)拝見することができた磯部地区にある薬師堂のご縁日の様子を紹介したいと思います。
 薬師堂は磯部の中でも下磯部の東地区にあり、地域の5軒の女性が日常の管理をしています(以前は8軒だったそうです)。創建されて500年も経つと言われる古いもので、お薬師様と脇侍(きょうじ)の日光・月光菩薩が祀られています。
 縁日の毎年10月12日には昼から能徳寺の住職が読経をして薬師の厨子の扉を開き、この扉は一年に一度、住職しか開けてはいけないとされているそうです。その後、やはり能徳寺の檀家の女性の方々による御詠歌(ごえいか)があり、終了すると近所の皆さんや毎年お参りされているという人が訪れます。
 このお薬師様は目の仏様として親しまれており、お参りした人には護符と一緒に「オメンタマ」と称する小さな丸い団子2個(偶数)やお菓子などが配られます。ちなみにこうした団子を作るのも管理されている五人の女性が前日に準備しています。当日は午後9時頃までに60~70人ものお参りがあったとのことです。なお、10月以外の毎月12日にも管理されている皆さんによって薬師堂は開いており(ご本尊の薬師如来の厨子は開きません)、お参りすることができます。
 薬師堂は大正時代に火事になって大変な時代もあったという話も伺いましたが、今後とも薬師堂が後世まで祀られていくことをお祈りするとともに、そうした身近にあって人々が大切にお守りされているお堂や宮などを通じて、地域の歴史や文化について調べ考えていきたいと思います。(民俗担当:加藤隆志)

薬師堂
Nikon SUPER COOLSCAN 9000 ED (0mm, f/0, 0 sec, ISO0)
薬師堂
本尊をお参りする親子
本尊をお参りする親子

祭り・行事を訪ねて(4)~藤野村歌舞伎~(平成22年11月)

 さる10月17日(日)の午後1時30分から、牧郷体育館(旧牧郷小学校)において、復活後19回目となる藤野村歌舞伎が盛大に行われました。緑区の藤野地域では、佐野川や牧野地区など、かつて地芝居(専門の役者ではなく地域の者が演じるもの)が盛んで当時演じられた舞台がいくつか残されています。特に牧野の篠原地区では、明治29年(1896)に氏神の大石神社を再建した際に回り舞台を設けて拝殿を舞台兼用に設計するなど、熱心に行なわれたことで有名です。しかし、各地の地芝居も第二次世界大戦後には次第に消滅していき、篠原でも昭和40年の神奈川県民俗芸能大会が最後の公演となり、衣装類などは県立歴史博物館に寄贈されています。現在行われている藤野村歌舞伎は、地区の有志によって保存会が結成されて平成4年に復活したものです。
 当日の演目は「一谷嫩軍記((いちのたにふたばぐんき)」のうち「熊谷陣屋」の場と「白波五人男」より「稲瀬川勢揃(いなせがわせいぞろい)」の場です。ここでは詳しいあらすじには触れませんが、いずれも歌舞伎や浄瑠璃の名場面として有名です。特に「熊谷陣屋」は藤野村歌舞伎の中でも十八番であり、1時間15分にも及ぶ力演でした。また、「稲瀬川勢揃い」では多くの藤野中と藤野南小の子どもたちが出演し、見学者一同から大きな声援を受けていました。これからも藤野歌舞伎保存会の活動を応援していただければ幸いです(民俗担当 加藤隆志)。

「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋」の場
CYBERSHOT (24mm, f/5.6, 1/30 sec, ISO320)
「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋」の場
「白波五人男」より「稲瀬川勢揃」
CYBERSHOT (15.6mm, f/4, 1/30 sec, ISO320)
「白波五人男」より「稲瀬川勢揃」

祭り・行事を訪ねて(3)~「お月見ちょうだいな」~(平成22年11月)

 秋の十五夜や十三夜は風情あふれる年中行事の一つです。この日には縁側などに台を出してカヤやススキ等の秋の草花を壷に挿して飾り、里芋・薩摩芋などの秋に畑で収穫されるものや、月にちなんで丸いものということで団子やまんじゅうなどを供えるほか、「お月様は豆腐を好む」として豆腐を一緒に供えることもあります。また、片月見はいけないとされ、十五夜をしたら必ず十三夜も祝うものだと伝えられています。ちなみに今年(2010年)の十五夜は9月22日、十三夜は10月20日でした。
 ところで、上溝や下溝・田名・当麻・磯部などでは、十五夜や十三夜の夕方に子どもたちが各家を回ってお菓子などをもらうことが今日でも見られます。盛んに行われている地区の一つである下溝の古山では、近所の友だちが4,5人と連れ立って家々を回り(小さな子どもには親が付き添います)、縁側などにお供え物がある家を見つけると屋敷内に入って「お月見ちょうだいな」と声をかけ、用意してあったお菓子をもらい「ありがとう」とお礼を言って次の家に向かいます。かなり以前は誰にも知られないようにそっと持っていきましたが、次第に柿や栗などを配るものとなり、さらに子どもたちが好むお菓子になったと言います。古山ではお月見に各家で80~100組ほども菓子を用意しているそうで、子どもたちは手にした袋にお菓子を一杯にしてうれしそうです。地域に残る行事に子どもたちが触れ合う機会としてこれからも長く続くことを願っています(民俗担当 加藤隆志)。

お月見のお供え物
CYBERSHOT (8mm, f/2.8, 1/40 sec, ISO160)
お月見のお供え物
「お月見ちょうだいな」
CYBERSHOT (8mm, f/2.8, 1/40 sec, ISO160)
「お月見ちょうだいな」

祭り・行事を訪ねて(2)~青野原八幡神社の子ども相撲~(平成22年10月)

 さる9月12日(日)、緑区青野原(旧津久井町)の八幡神社で子ども相撲が行われました。この神社は元々は「若宮八幡宮」として別の地にあったものが江戸時代中期に現在地に遷座したと言われる古社で、青野原地区の東側の地域の鎮守として祀られています。子ども相撲は、以前は敬老の日の9月15日、今ではハッピーマンデー法の関係でその近くの休日に行われます。かつては大人の相撲もあったものの、今ではもっぱら小学生までの子どもが男女を問わず参加しています。
 当日は午後1時から相撲が始まりました。だいたい年齢や学年が同じような子ども同士の取り組みが行われ、装束を付けた行司がさばきます。子どもたちは勝っても負けてもいろいろな賞品が貰え、うれしそうです。また、神社境内の土俵の横には桟敷も設けられ、地域のお年寄りを中心とした見物人や親たちが盛んに声援を送ります。休憩の途中では、これを食べると一年間風邪をひかないということでおにぎりを皆で食べる姿も見られました。今年は参加する子どもが他の行事と重なったためやや少なかったそうですが、力の入った取り組みも多く、大変に盛り上がった中で午後3時前には終了しました。
子ども相撲の取り組み風景 子ども相撲の応援をする観客

はっけよい、のこった!!
CYBERSHOT (8mm, f/2.8, 1/100 sec, ISO100)
はっけよい、のこった!!
見物人の応援にも力が入ります
CYBERSHOT (8mm, f/2.8, 1/100 sec, ISO100)
見物人の応援にも力が入ります

市内では、青野原の八幡神社とともに緑区鼠坂(旧相模湖町)の八幡神社でも子ども相撲があり、現在もこうした行事が残る貴重な祭礼となっています。地域の大人たちが子どもの成長を見守る行事として、これからも大切にしていきたいものです。(民俗担当:加藤隆志)

祭り・行事を訪ねて(1)~川尻八幡宮祭礼~(平成22年10月)

 記録的な猛暑だったこの夏ですが、それでも市内各地で賑やかに祭りが行われました。民俗担当では、この数年間はなるべく津久井地域の祭りの見学にお伺いしています。今回はその中でも、大変盛大な神輿(みこし)の巡行と各地区から出される山車(だし)が有名な緑区川尻(旧城山町)地区の川尻八幡宮の祭礼について紹介します。
 川尻八幡宮の祭礼は、8月27・28日の両日に渡って行われます。27日には「応神(おうじん)」と「八坂(やさか)」と呼ばれる大小2基の神輿が早朝に神社を出て川尻中の各地区を練り歩き、途中では神輿を高く掲げたり左右に大きく振る動作などが見られました。特に午後7時過ぎに一度神社に戻ってからは、もう一基の「春日(かすが)」を加えた三基の神輿を夜遅くまで神社周辺の道路で車を止めながら勇壮に担ぎます。翌日は山車とお囃子が主役です。午前中から各地区を回ってきた9基の山車がやはり夜には一同に会し、同時に囃子を叩き合うほか、各山車が順番にこの日に向けた特別の囃子を奏でることも行われています。

大小二基の神輿
Nikon SUPER COOLSCAN 9000 ED (0mm, f/0, 0 sec, ISO0)
大小二基の神輿
一同に集まった山車
CYBERSHOT (8mm, f/2.8, 1/40 sec, ISO200)
一同に集まった山車

 こうした各地区のさまざまな祭りは、人々にとっての大きな楽しみであるとともに地域の大切な生活文化です。今後ともできるだけ多くの祭りを訪れて、写真を撮り、お話しを伺っていきたいと思っています。(民俗担当:加藤隆志)

待望の『相模原市史民俗編』刊行!!(平成22年7月)

相模原市史民俗編表紙
 平成15年から筆者を含む大勢の者が係わりながら作業を進めてきた『相模原市史民俗編』がこのたび刊行されました。この本はA4判で550頁にも及ぶ大部なもので、相模原のさまざまな民俗について紹介されています(なお、この事業は合併以前から進められているため、対象地は旧市域の相模原地域です)。
 これまでも民俗関係の報告書などが出されてきましたが、例えば年中90-03minzoku220701行事や獅子舞などといった特定のテーマごとにまとめることが多く、市域の民俗全般が体系立てて記述される良い機会となりました。 全体に多くの写真が掲載されて内容の理解を助け、索引もあるので調べたいことを検索するのに便利です。
 また、付録の明治39年の地形図は、集落や耕地・山林などが色分けされているほか寺社や伝承地・地名などが記されており、一枚の地図から多くの情報を読み取ることができます。是非一度、博物館や図書館などでご覧になってください。そして、いろいろな面でご活用いただければと思います。
 購入の場合、一冊2550円・DVD版は1550円。博物館ミュージアムショップなどで販売しています。(民俗担当:加藤隆志)

地質の窓(平成22年度)

地層の標本を作製(平成23年3月)

 2011年3月11日に相模原市緑区根小屋の津久井城跡荒久地区遺跡群で、相模原地質研究会のメンバーおよび相模原青陵高校の小尾先生と一緒に地層の剥ぎ取り標本を作製しました。作業中に東北地方太平洋沖地震が発生し大きく揺れましたが、幸い被害はなく、無事作業を終えることができました。

 岩石・鉱物・化石は採集したものを標本として博物館に所蔵・展示することができますが、やわらかい地層はそのまま採集するわけにはいきません。そこで、地層の表面に硬化剤や接着剤を塗り、固まった部分だけを剥ぎ取って標本にします。これで、たとえごく一部分とはいえ、地層の実物を博物館で収蔵・展示することが可能になります。博物館の常設展示室「台地の生いたち」コーナーに展示してある地層も剥ぎ取り標本です。

 今回作成したものは50cm×30cm程度の大きさです。このくらいですと、収蔵するのに場所をとりません。また、運ぶことも可能なので、学校へ教材として貸し出すこともできます。

 剥ぎ取りのできる地層は非常に限られていますが、できるだけ標本を増やしていきたいと思います。(地質担当:河尻清和)

地層の剥ぎ取り作業中 (黒ボクと関東ローム層)
地層の剥ぎ取り作業中
(黒ボクと関東ローム層)
剥ぎ取った地層
剥ぎ取った地層

 

紅葉と、メレンゲと。‐秋の御岳渓谷、地質めぐり‐(平成22年11月)

紅葉しげる御岳渓谷
紅葉しげる御岳渓谷

 11月23日、相模原地質研究会のメンバーと紅葉真っ盛りの青梅市の御岳渓谷に行ってきました。目的はもちろん美しい紅葉、ではなく、多摩川沿いの地質調査です。当日は朝方まで残っていた雨も、調査を開始するまでにはすっかり上がり、秋晴れの好天に恵まれました。まさに、紅葉狩り日和、いやいや、調査日和でした。

 御岳渓谷の地質はメランジュ、もしくは混在岩と呼ばれるものです。メランジュというのは細粒に粉砕された基質の中に大小さまざまな大きさの岩塊が含まれているものです。メランジュはフランス語で「混合」を意味し、お菓子のメレンゲと同じ語源を持つものです。

 御岳渓谷ではぺらぺらと割れやすくなった黒色の泥岩の中に、砂岩・チャート・石灰岩・凝灰岩などの岩塊が含まれているのが観察できました。御岳渓谷のメランジュは、プレート運動によりものすごい圧力が地下深部で種々の岩石に加えられることにより、ぐちゃぐちゃに混ぜ合わされ、それが隆起して、現在、地表で見られるようになったものです。(地質担当:河尻清和)

相模原地質研究会調査中
相模原地質研究会調査中
 御岳渓谷で見られるメランジュ
御岳渓谷で見られるメランジュ

 

戦前の鉱物・岩石標本(平成22年10月)

  2008年3月、株式会社ニコン 相模原製作所より、鉱物岩石標本が寄贈されました。これらの標本は、株式会社ニコンが、自社製品のレンズ用ガラスの品質向上のための研究目的で購入・採集したということです。標本ラベルに「甲斐國」、「神奈川縣」など旧国名、旧字体で表記されているものも多くあります。また、「満州」、「朝鮮」、「東京府」と、標本ラベルに記載されている資料もあることから、少なくとも戦前に購入・採集したと考えられ、当時の標本の様子を今に伝える貴重な資料です。

 これらの標本の一部を、10月末まで、特別展示室で展示します。この展示は地質分野の博物館実習生が実習の一環で製作したものです。展示するのにあたって、産地を現在の市町村名に直したのですが、かなり苦労しました。また、地名だけからは現在の朝鮮民主主義人民共和国なのか大韓民国なのか、わかりにくい資料もありました。例えば「江原道」という行政区画は、朝鮮民主主義人民共和国にも大韓民国にもあります。そのため、どちらから採集された標本であるのかを突き止めるために、いろいろと資料を調べることになりました。(地質担当:河尻清和)

富士山の玄武岩と標本ラベル
Canon IXY DIGITAL 900 IS (4.6mm, f/7.1, 1/200 sec, ISO0)
富士山の玄武岩と標本ラベル CanoScan LiDE 90 (0mm, f/0, 0 sec, ISO0)
富士山の玄武岩と標本ラベル
朝鮮民主主義人民共和国の方ソーダ石閃長岩と標本ラベル
Canon IXY DIGITAL 900 IS (4.6mm, f/7.1, 1/200 sec, ISO0)
朝鮮民主主義人民共和国の方ソーダ石閃長岩と標本ラベル CanoScan LiDE 90 (0mm, f/0, 0 sec, ISO0)
朝鮮民主主義人民共和国の方ソーダ石閃長岩と標本ラベル

 

結晶作りに挑戦!(平成22年7月)

 水晶、ダイヤモンド、エメラルド・・・、美しい宝石の多くは鉱物であり、地球がつくったものです。美しい鉱物をつくることはできないのでしょうか?まったくできないわけではありませんが、大がかりな装置が必要になり、簡単にはできません。

 宝石になるような鉱物はできないけれど、きれいな結晶を作ることは可能です。そこで、相模原市立博物館では毎年、小学校4年生から中学生を対象にした子ども鉱物教室を開催し、参加者に結晶作りを体験してもらっています。この教室は毎年多くの方にお申し込みいただいており、毎回、抽選になります。今年は7月30日と8月6日に行われました。

 子ども鉱物教室ではミョウバンの結晶を作ります。ミョウバンは漬物を漬けるときに、色を良くするために使われています。うまく作ると10cmくらいの結晶もできるそうですが、鉱物教室では1cmくらいのものをつくります。今年は博物館のスタッフが大きな結晶作りに挑戦しました。5cmくらいの結晶ができましたが、透明ではなく、形もそれほど良くありません。もっといい結晶を作ろうと、現在挑戦中です。うまくきれいな結晶ができたら、また報告したいと思います。(地質担当:河尻清和)

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番外編(平成22年度)

文化財防火デーに訓練を実施しました(平成23年1月)

 

 平成23年1月26日(水)文化財防火デーに、防火訓練を実施しました。

消防車3台が来ました
消防車3台が来ました

 常設展示室からの出火を想定した、来館者の避難誘導、収蔵庫からの文化財搬出の訓練です。

高所救助車による救出訓練
高所救助車による救出訓練

 当日は相模原消防署緑が丘分署の協力を得て、3階に取り残された職員の救出訓練も、本番さながらに行われました。

 訓練は整然と、滞りなく終了しましたが、緊急時の手順や避難経路を日ごろから確認しておく事の重要性が改めて認識されました。今後も、今回の反省を活かし、来館者や収蔵品の安全確保に努めていきます。(企画情報班 木村)

 

市史の窓(平成22年度)

社寺文化財調査(泉龍寺、望地弁天堂)(平成22年12月)

 博物館市史編さん班では、市史『文化遺産編』に収録する彫刻、日本画などの社寺文化財調査を行っています。

 ここでは、昨年度の調査から南区上鶴間本町にある泉龍寺と中央区田名・望地弁天キャンプ場内にある望地弁天堂を紹介します。

泉龍寺の三重塔 (南区上鶴間本町)
E3100 (10.9mm, f/3.7, 1/91 sec, ISO141)
泉龍寺の三重塔
(南区上鶴間本町)

 泉龍寺では、涅槃図、十王図などが調査対象として拝見することができました。また、この寺院には、昭和62年に建造された三重塔があり、市内ではここだけと思われます。その圧倒的な存在感からはそれ以上の歳月の流れをも感じさせます。山門は古くからあるもので、その両脇には阿形像、吽形像一対の仁王像が安置されています。

 望地弁天堂の祠 (中央区田名)
E3100 (5.8mm, f/2.8, 1/60 sec, ISO400)
望地弁天堂の祠
(中央区田名)

 望地弁天堂の祠は、桧皮葺(ひわだぶき)の立派なもので、市指定文化財である弁才天が安置されています。管理をされている方の話では、その方が以前古老から聞いた言い伝えによると、弁才天には3姉妹説があり、長女が江の島の弁才天で、望地が次女、三女は鹿児島の方に安置されているとのことでしたが、現在ではその話を伝承できる人はいないそうです。

(市史担当:佐藤洋二)

 

丹沢稜線部の昆虫類調査(津久井町史自然編)(平成22年10月)

 今年(2010年4月)から、津久井町史刊行の業務が博物館に加わりました。今までに資料編として「考古・古代・中世」、「近世1」、「近代・現代」の3巻が刊行されていますが、今後も「資料編近世2」、「自然編」などを刊行していく予定です。

檜洞丸(ひのきぼらまる)方向から大室山を望む
PENTAX Optio W60 (5mm, f/4.2, 1/320 sec, ISO50)
檜洞丸(ひのきぼらまる)方向から大室山を望む

 自然編を刊行するための基礎調査では、特別な許可を得て丹沢稜線部の昆虫類調査も実施しました。稜線部を歩きながら、ここも相模原市なのかと思わせる自然豊かな光景が広がり、本市の自然の多様性に驚きます。一方、さまざまな要因で枯れていくブナの大木や崩落した緑地を目にすると、調査結果をどう伝え、どのように読んでもらうのか、自然編刊行の大きな責任を痛感します。(町史担当:守屋博文)

 

市史を作るために調査します(平成22年7月)

 市史を編さんする担当になって驚いたことがあります。それは市史を編さんするために多くの調査が行われていることです。

例えば「考古編」ですが、過去に行われた調査を集約すれば作れるものだと思ってしまいがちです。もちろん過去の調査を利用するものもたくさんあります。しかし実際には、市史編さんをきっかけにした調査が行われているのです。

 先日も、市内上矢部にある土塁に置かれていた石造物の一部について調査を行いました。このような調査の積み重ねが、市史を作っていく上で、欠かせないことなのだと実感しました。(市史担当:塩谷裕久)

90-07shishi220701 Canon IXY DIGITAL 800 IS (5.8mm, f/5.6, 1/250 sec, ISO0)

天文の窓(平成22年度)

「はやぶさ」カプセル展示を振り返って(平成23年1月)

 相模原市立博物館とJAXAとの連携事業についての記事が、「博物館研究」第46巻第1号(平成22年12月25日 財団法人日本博物館協会発行)に掲載されました。「博物館研究」は、全国の博物館活動に関する研究論文・報告・展示案内等について普及・啓発することを目的として毎月発行されています。

 掲載記事は、当館建設当時の様子も含めて、小惑星探査機「はやぶさ」カプセル世界初公開の顛末をメインにした内容となっています。(天文担当:有本雅之)

 「宇宙航空研究開発機構(JAXA)との連携事業-小惑星探査機「はやぶさ」カプセル世界初公開」
(出典:博物館研究Vol.46 №1)(PDFファイル 355KB)

 

宙(そら)からの贈りもの(平成22年11月)

 当館は、今年11月20日に開館15周年の節目をむかえました。これを記念して11月20日(土)、21日(日)の2日間、プラネタリウム等で記念事業を開催しました。

当日エントランス
当日エントランス

 11月20日は、エレクトーン演奏家 神田 将(ゆき)さんによるプラネタリウムコンサート「宙(そら)からの贈りもの」を開催しました。神田さんがたったひとりで奏でる“フルオーケストラ”をほうふつさせるような迫力のあるエレクトーンのサウンドが満天の星空に響きわたりました。本市のシティセールスコピー「潤水都市 さがみはら」があらわす水と豊かな自然をイメージした楽曲と当館学芸員・スタッフが撮影した映像との共演や星空解説時の即興演奏もあり、その場限りの贅沢なBGMで満天の星空を堪能することができました。

 

プラネタリウムコンサート風景
プラネタリウムコンサート風景

  11月21日は、3つの記念事業を開催しました。東京造形大学によるワークショップ「みんなでわっしょい宇宙みこし!~宇宙の彼方へさぁ行こう!~」では、小学生たちが創意工夫により宇宙船を模したみこしを考案・製作し、JAXA宇宙科学研究所に展示してあるロケットの前まで練り歩きました。宇宙科学研究所の阪本成一教授によるオモシロ楽しい宇宙の話には、目を輝かせていました。子どもたちが宇宙への憧れや夢を抱く、よいきっかけになったものと思います。

JAXA宇宙科学研究所のロケット前にて
JAXA宇宙科学研究所のロケット前にて

 プラネタリウムにおいては、女子美術大学による「こどもアニメーションフェスティバル」の優秀作品と、当館が開催した「子どものためのワークショップ 生きものアニメーションをつくろう」の参加者が作った作品の上映会、そして武蔵野美術大学学生によるパフォーマンス「ライツ・オブ・ディスタンス」を行いました。

 今回の記念事業は、大学や研究機関との連携によるプラネタリウムの取り組みなど、今後の博物館事業への手がかりとなりました。(天文担当:有本雅之)

 

宙(そら)を望む(平成22年10月)

 博物館の屋上には、ドームの直径が6mの天体観測室があります。その中に置かれているのが県内最大級の口径40cmカセグレン式反射望遠鏡(焦点距離6m)です。直径40cmの鏡(凹面鏡)で宇宙からの光をとらえます。集光力(=肉眼に対してどれくらい光を集められるかを表した数値)は何と約3,265倍!パソコンによって暗い天体も自動で正確にとらえることができます。

天体観測室
天体観測室
 口径40cmカセグレン式 反射望遠鏡
口径40cmカセグレン式
反射望遠鏡

  金曜日に行っている星空観望会(事前申込制(*))では、この望遠鏡のほか、移動式の口径30cmシュミット・カセグレン式反射望遠鏡や大型の双眼鏡などを用いて、季節の代表的な星座や、惑星・月などを楽しんでいただいています。

夜の観測テラス(奥は天体観測室)
FinePix S8100fd (4.7mm, f/2.8, 1.5 sec, ISO200)
夜の観測テラス(奥は天体観測室)
星空観望会の様子
星空観望会の様子

 開館以来、今年9月に開催回数366回、参加者数は延べ14,273人になりました。これまでは、8月開催分を除き、抽選をすることなくご参加いただけましたが、今年は例年と様子が違い、8~10月開催分の3ヶ月連続で抽選(倍率2~3倍)という状況です。これも、小惑星探査機「はやぶさ」の話題をきっかけにして、天文、宇宙への興味関心が高まっていることの表れなのかも知れません。「はやぶさ」がもたらしてくれた嬉しい効果のひとつです。(天文担当:有本雅之)

*星空観望会は、開催月の前月の1日~15日までの期間に参加者を募集します。詳しくはこちらをご覧ください。

 

“宇宙につながる 相模原”(平成22年7月)

90-06tenmon220701 NIKON D80 (18mm, f/3.5, 1/15 sec, ISO1250)
90-06tenmon220702 NIKON D80 (18mm, f/7.1, 1/200 sec, ISO100)
 地球が誕生した46億年前の記憶を探るため、小惑星の表面から物質のサンプルを採取し、地球に持ち帰る使命を与えられた探査機「はやぶさ」は、幾多のトラブルを乗り越え、約7年、60億kmの長旅から地球に帰ってきました。数々の世界初の偉業を成し遂げた「はやぶさ」本体は、2010年6月13日深夜、大気圏突入で燃え尽きてしまいましたが、「はやぶさ」の活動は、今も私たちに夢と希望と感動を与え続けています。

 7月30日、31日には、JAXA相模原キャンパス特別公開の目玉企画としてカプセルなどが博物館で世界初公開され、2日間で延べ3万人がご覧になりました。壮大な宇宙へのロマンを感じた人もいらっしゃるのではないでしょうか?観覧を待つ人の列は、炎天下にもかかわらず、終始途切れることなく最大で約4時間待ちとなり、「はやぶさ」人気を改めて実感しました。

はやぶさのカプセルの展示風景 カプセル見学のための長蛇の列  「はやぶさ」地球帰還に先駆けて5月21日に打ち上げられた、金星探査機「あかつき」、宇宙ヨット「IKAROS」などの相模原生まれの探査機が次々と開発・運用されています。太陽系や生命の起源・進化に迫るべく、「はやぶさ」に続く「はやぶさ2(仮称)」ミッションが計画されるなど、相模原は宇宙につながる世界的なまちなのです。(天文担当:有本雅之)

90-06tenmon220704 FinePix S8100fd (4.7mm, f/2.8, 1/70 sec, ISO64)

生きものの窓(平成22年度)

冬の河原(平成23年1月)

 冬は生きものたちにとって厳しい季節。でも、厳しいからこそ、生きものたちの飾らない“素顔”が見られるのも、この季節です。

 1月。冬晴れのある日、緑区大島の相模川の河原にあるカワラノギクの保全地を訪れました。カワラノギクは、市内に自生する絶滅危惧植物です。種の保存のために、種子の採取と、越冬株(ロゼット株)の生育状況を調査するのです。この日は、博物館を拠点に活動する相模原植物調査会のみなさんと、丸石のすき間に生えるカワラノギクの株数を数えたり、同じような環境に生育するカワラハハコの分布状況を調査したりしました。

カワラノギクの調査の様子
カワラノギクの調査の様子

 調査の後、保全地のまわりを歩いて自然観察を楽しみました。すっかり葉が落ちた夏緑樹は、一見すると命の営みを止めてしまったかのように感じられます。しかし、春への準備は着々と進んでいます。アカメガシワやニガキの冬芽はたくさんの毛に覆われていて、毛糸の帽子をかぶったようです。これなら河原の強い寒風にも耐えられそう。

カワラノギクのたね
カワラノギクのたね
アカメガシワの冬芽
アカメガシワの冬芽
ニガキの冬芽
ニガキの冬芽
ニガキの冬芽
NIKON D50 (50mm, f/7.1, 1/200 sec, ISO0)
ニガキの冬芽
アカメガシワの若葉(6月頃
NIKON D50 (50mm, f/8, 1/250 sec, ISO0)
アカメガシワの若葉(6月頃
 ニガキの展葉(4月頃)
NIKON D50 (50mm, f/4.5, 1/80 sec, ISO0)
ニガキの展葉(4月頃)

 カワラノギクの花(11月頃) アカメガシワの若葉(6月頃) ニガキの展葉(4月頃)  葉が茂っている時には気付かなかった、鳥たちの巣もこの時期は簡単に見つけられます。低い位置に作るホオジロ、ちょっと高いところにはヒヨドリ、もっと高いところにはハシボソガラス。こんなにあったんだ!と思うくらい、河原には鳥たちの巣がたくさんあります。

ヘクソカズラの果実
ヘクソカズラの果実
ヘクソカズラの花(7月頃)
NIKON D50 (38mm, f/10, 1/400 sec, ISO0)
ヘクソカズラの花(7月頃)

 体全体に鋭いトゲをまとったサイカチは、葉が茂っている頃よりもトゲが目立ち、攻撃的です。ここまで徹底して武装するのには、遠い昔、食害する動物たちとよほど激しい戦いの歴史があったのでしょう。

 この時期も黄金色の光沢を失わないのは、ヘクソカズラの果実。人間にはひどい名前をつけられてしまいましたが、ヒヨドリなどの鳥たちにとっては大切な冬の食料です。

  観察を終えて帰途につこうとふと空を見上げれば、ノスリが円を描いて飛んでいます。抜けるような青空をおう歌するかのように、高く高く、見えなくなるくらい高く舞い上がっていきました。(生物担当 秋山幸也)

ホオジロの古巣
ホオジロの古巣
サイカチのトゲ
サイカチのトゲ
 大空高く飛ぶノスリ
大空高く飛ぶノスリ

 

神奈川の養蚕、終わる(平成22年12月)

桑畑で桑とりをする笹野さん夫妻
NIKON D50 (17mm, f/5.6, 1/125 sec, ISO0)
桑畑で桑とりをする笹野さん夫妻
 給桑する笹野さん
NIKON D50 (29mm, f/5, 1/60 sec, ISO0)
給桑する笹野さん

 日本の近代化を支えた養蚕と生糸の輸出。相模原はかつて県内でも有数の、養蚕の盛んな地域として知られていました。桑都八王子と生糸の輸出拠点であった横浜港をつなぐのが、いわゆる「絹の道」(神奈川往還)です。市域東部の主要な交通路である国道16号、町田街道、そしてJR横浜線は、繭や生糸の輸送効率を上げるために整備されてきた側面があります。

 その養蚕も近年は急激に生産量が減り、養蚕農家は数えるほどになっていました。そして今年秋、とうとう相模原から、いえ、神奈川県から養蚕の灯が消えることになったのです。

 近代以降の養蚕は、農家が卵(養蚕の世界ではタネと呼びます)から育てるわけではありません。優良な品種を安定して供給するため、孵化後しばらくは一括して営農センターなどが人工飼料を使って飼育し、2回脱皮をして3齢幼虫になったところで各農家へ配布するのです。そのため、1軒だけで養蚕を続けることはできません。今年、県内の養蚕農家は12軒。そのうち、4軒が相模原市内でした。

 博物館では、市内の養蚕農家である緑区上九沢の笹野さんと緑区根小屋の菊池原さんを取材し、菊地原さんのお宅では一連の作業を映像に収めました

 養蚕はたいへんな重労働です。3齢からさらに2回脱皮するまで2週間とちょっと。それまでは、脱皮前に2日ほど動きを止める「眠」の期間を除いて、ひたすら桑をあげ続けなくてはいけません。終齢の5齢になったカイコが桑を食べる勢いは、尋常ではありません。枝ごとあげた桑の葉が、みるみるうちに葉脈だけになってしまいます。

  5齢になって8日ほどすると、カイコの体全体が飴色になります。これが、糸をはく直前の「熟蚕」です。このタイミングを見計らい、繭を作らせる「まぶし」に移すのですが、この作業の前にも大仕事があります。カビや寄生虫に弱いカイコを守るため、まぶしも部屋も消毒を行うのです。繭ができて中でさなぎに脱皮した頃、今度はまぶしから繭をはずしてケバを取り、ようやく出荷となります。

まぶしの上をはいまわる熟蚕
NIKON D50 (60mm, f/4.2, 1/40 sec, ISO0)
まぶしの上をはいまわる熟蚕

 2010(平成22)年は、神奈川の養蚕が終了した年として歴史に刻まれました。しかし、産業としての養蚕が終わっても、その伝統技術や生物工学的な研究成果、そして教育素材としての利用の道はまだ残されていますし、それを後世へ伝えていかなくてはなりません。博物館でも、今後は文字どおりの「生きた理科教材」として利用していきたいと考えています。(生物担当:秋山幸也)

 

キアシナガバチの巣(平成22年10月)

 博物館に巣を作ったキアシナガバチの巣
博物館に巣を作ったキアシナガバチの巣

 これは、キアシナガバチの巣です。7月初旬から博物館正面入り口前の通路の天井部分に巣をつくりはじめました。木々に囲まれたこの博物館では、建物の周囲に毎年どこかしらで巣がつくられます。見やすい位置にある場合は、生きた展示物として案内表示を出してご来館のみなさまに観察していただいています。

 殺虫風景
殺虫風景
キアシナガバチの死がい
キアシナガバチの死がい

  しかし今年、キアシナガバチが巣の場所に選んだのは、よりによって通路の真上。注意を呼びかける張り紙とともに、しばらくようすを見ていました。折しも小惑星探査機はやぶさのブームでたくさんの方がご来館される中、来館者とのトラブルもなく、ハチたちの子育ては順調に進みましたが、8月下旬に、館内へ迷い込んだハチが来館者を刺してしまう事態がおきました。そこで8月25日、これ以上の被害を出さないために巣を撤去しました。

 来館者に被害が及んでしまったこと、結果的に子育てのピークにあるハチを、幼虫ごと殺してしまったことは、誠に申し訳なく、残念な結果です。昔から、軒にハチが巣を作るのは、その家の繁栄を象徴する縁起のよいものとされてきました。国際生物多様性年の今年、10月に名古屋でCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されます。現代を生きる私たち人間と生きものとの共生の難しさを、改めて考えさせられました。(生物担当:秋山幸也)

オオスズメバチとキアシナガバチの比較

左がオオスズメバチ、右がキアシナガバチ
左がオオスズメバチ、右がキアシナガバチ
キアシナガバチ

 木の枝や軒先などに、巣を作ります。オオスズメバチのようなスズメバチ類に比べて小さめで、見た目がほっそりとしており、攻撃性もそれほど強くありません。巣を揺らしたり、手で払ったりしなければ、めったにさされる事はないと言われています。仲間にはセグロアシナガバチがいます。

オオスズメバチ

 日本最大のハチで、樹洞や屋根裏などに大きなボール状の巣を作ります。攻撃性が強く、巣の近くを通っただけで刺される事があります。仲間には、キイロスズメバチ、コガタスズメバチなどがおり、いずれも攻撃性が強く、刺傷例がよく報道されるのはこの仲間です。

 

最強のアザミ、あらわる!(平成22年7月)

 毎年、なにかしら新しい外来植物が入ってきて、あるものは消滅し、あるものは定着して分布を広げていきます。こうした外来植物がいつ、どのような経路で入ってきて、どう広まっていくのか。それを知るために、私たちは外来植物の情報に日々アンテナを張り巡らせています。

90-05ikimono220702 NIKON D50 (19mm, f/9, 1/320 sec, ISO0)
90-05ikimono220701 NIKON D50 (19mm, f/10, 1/320 sec, ISO0)
 2010年5月、このアンテナがすごい外来植物の情報をキャッチしました。オオアザミというキク科の植物です。日本に渡来した歴史は古いのですが、神奈川県ではまだ野外の記録がありませんでした。それが横浜市の西のはずれ、相模原市からも近い場所に堂々と咲いているというのです。早速行ってみると、遠目にもわかる大きな株がありました。

 頭花を包む総苞という部分に、拷問具を連想させる4センチほどの強大なトゲがあります。もちろん、葉も茎もトゲだらけ。たくさんのアザミを見てきましたが、こんな攻撃的なトゲを持つ種類は見たことがありません。これを引っこ抜こうとするなら、手も腕も穴だらけになってしまいそうです。

 オオアザミよりもう少し小ぶりのアメリカオニアザミが今、幹線道路沿いに増えています。これも、草丈が伸びて気づく頃にはトゲだらけでうかつに触れないため、抜かれずに広まっているようです。オオアザミが相模原の路傍に幅をきかせる日も遠からず訪れるかもしれません。(生物担当:秋山幸也)

歴史の窓(平成22年度)

 

市域最北の寛文総検地帳などとの出会い(平成23年3月)

「相州津久井領愛甲郡(津久井領之内) 佐野川村御水帳」
「相州津久井領愛甲郡(津久井領之内)
佐野川村御水帳」

 緑区佐野川にお住まいの方から貴重な古文書類の寄贈を受けました。

佐野川村御水帳」  寄贈された古文書類は、神奈川県及び旧藤野町により、すでに目録化され、整理用封筒に収納され保管されていました。資料数は600件1400点にのぼり、一部の資料は『藤野町史』にも紹介されていますが、多くの資料はまだまだ世に知られていない貴重なものばかりでした。

  一例をあげると、「相州津久井領愛甲郡(津久井領之内)佐野川村御水帳」です。これは、時の老中・久世大和守広之支配時に、寛文4(1664)年津久井の村々の検地を一斉に行ったときの記録の副本と思われ、畑・田・山畑・屋敷の4冊からなり、保存状態は良好でした。市内に残る他の久世氏寛文総検地帳と同様、前代の永高ではなく石高で記載されており、近世農民支配の本格的な始まりを理解できる貴重な文献を博物館の資料に加えることができました。

 寄贈された資料は、今後既刊の目録と照合し、再整理を進め、博物館資料として活用を図りながら次世代に引き継いでいきます。古文書などの貴重な資料をお持ちで、継承にお困りの場合には、一度博物館までご連絡ください。(歴史担当:土井永好)

 

相模原の”正倉院”に!?~博物館資料の保存(平成22年12月)

生活資料収蔵庫
生活資料収蔵庫

 博物館資料は、くん蒸が完了すると次に分類・整理(登録)が待っていますが、ひとまず専用の施設に収納して次の作業に備えます。その施設は通常、どの博物館でも「収蔵庫」と呼んでいる部屋を指します。

 歴史分野では、大部分を特別収蔵庫・古文書収蔵庫・生活資料収蔵庫に収めており、郷土の先人たちが残した貴重な品々を将来に伝えます。特に、ぜい弱な紙資料を多く保管する特別収蔵庫と古文書収蔵庫は、建物コンクリートから出る湿気に対して特殊防湿パネルと北米杉を用いた二重壁及び木製の天井・床で六方を囲み、二酸化炭素放出消火機器と合わせて大切な市民の財産を守っています。また、卓越したその構造により、国宝・重文級の資料を借り受ける場合に一時保管が公認されるほどの設備環境を整えています。今回は、普段お目にかけることのできない博物館の舞台裏を紹介してみました。(歴史担当:土井永好)

 

博物館資料をスモークする!?~くん蒸消毒(平成22年10月)

 資料をパッキング
資料をパッキング
薬剤を封入
薬剤を封入
ビン詰めされたコクゾウムシ(黒いもの)
ビン詰めされたコクゾウムシ(黒いもの)

 前回は資料受入の際の事前クリーニングについて話しましたが、資料保存に向かう次のステップとして虫菌害防除の一例をご案内します。

 古来、日本人は自らの生活必需品を害虫やカビから守るために虫干し(曝書・曝涼)の作業や調度品等に通気性や忌避性のある材料を用いることを通じ、経験的効果的な対策を施し忍び寄る魔の手を防いできました。一方、国内博物館におけるそれは、技術的充実や費用対効果の面から薬剤を使用する方法がここ40年来の主流のようです。その中でも定番は、「ガスくん蒸処理」と言えましょう。

 当館でも、これまで年間定期的なくん蒸消毒を実施しています。直近では残暑厳しく害虫の活動も活発な9月初めに今年度2回目の作業を行いました。手法上は「被覆くん蒸法」。ガス化した薬剤を、対象資料を集めシート等で密閉した場所に一定時間封入・浸透させるものです。効果は、ビンに詰めたサンプルのコクゾウムシの死滅確認で判断します。処理後はガスの蒸発拡散が早いため人体への影響はなく、収蔵庫格納等予定する次の作業を円滑に進めることができます。(歴史担当:土井永好)

 

資料保管への第一歩~クリーニング(平成22年7月)

資料のクリーニング作業1
資料のクリーニング作業1
資料のクリーニング作業2
資料のクリーニング作業2

 4月の着任早々、歴史分野の新規寄贈・寄託資料にめぐり合うこととなりました(多少の戸惑いも感じつつ…)。尾崎咢堂翁にゆかりの深い品々をはじめとして、数多くの貴重な資料群でとても圧倒された次第。今日までそして明日からもずっと続く地道な資料の収集活動―現況確認と受入、そして点検等を経て保管に至るまでの作業の中では<驚き><悲しみ><喜び><感謝>の気持ちも当然に湧いてきます。そうしたモノとの出会い話や耳寄りなトピックなど、新しい担当職員が見た“ものヒストリア”を紹介していきますので、お気軽にお読みください。

資料のクリーニング作業3
資料のクリーニング作業3

 所蔵元で永く大事に伝えられてきた品々も埃やクモの巣、カビ等の攻撃にさらされている状況が見受けられます。博物館に運ばれてくるのはそのままの場合が少なくありません。そこで、薬剤消毒(くん蒸)をかける前に資料のクリーニング作業できる限りのクリーニングを行う必要があります。モノの材質や状態によってはブラッシングや水洗いを済ませておくことにより他への害の波及を未然に防ぎ、くん蒸効果を高める算段です。資料との結びつきを強める第一歩と言えましょう。(歴史担当:土井永好)

考古の窓(平成22年度)

 

春季企画展準備(平成23年3月)

 3月20日(日)から春季企画展「相模原市遺跡発掘調査成果展」が始まりました。

 通常、博物館で開催される企画展は数年前から構想が練られ、開催前年度の秋頃つまり来年度予算の要求時期までに、年間の開催計画とともに基本的内容が確定されます。本格的な準備が始まるのは展示の規模にもよりますが、今回の企画展の場合、およそ1年前から準備作業が始まっています。

展示資料の調書
展示資料の調書

 作業の内容は多岐にわたりますが、まず展示構想を具体化するための展示資料の選定や展示レイアウトの検討、資料借用に伴う調査や交渉、展示パネル類の作成などがあります。以上は展示そのものに関わる部分ですが、これに加え展示に関連する講演会や体験教室などの準備も同時に行なわれます。さらにチラシやポスターの作成、様々なメディアへの情報提供など広報も欠かせません。3月になり、展示の準備も佳境を向かえ、借用資料の運搬作業や列品作業が始まっています。

展示レイアウト図
展示レイアウト図

 もちろんこうした作業は担当学芸員一人が全てをこなしているわけではありません。そこには市民ボランティアをはじめとする多くの方々の協力があり、いわば展示はチームワークの結晶として成り立っています。

 今回の企画展は5月8日(日)まで開催していますので、ご来館のおりには、ぜひ特別展示室まで足をお運びください。(考古担当:河本雅人)。

 

津久井城跡の地形測量調査を実施しました(平成22年12月)

 

測量機器の設置
測量機器の設置

 11月29日(月)~12月10日(金)に津久井城跡の地形測量調査を実施しました。

 津久井城は戦国期における国内有数の山城跡として知られており、小田原北条氏の勢力下にあった頃は甲斐武田氏への備えとして重要な役割を果たしていました。平成7年以降、発掘等による調査によって戦国期の建物跡や土塁跡、堀跡などの山城に備わる防御施設が次々と見つかっています。

測量風景
測量風景

 今回、地形測量を行なったのは、県立津久井湖城山公園内の城坂曲輪群南地点と呼称している場所で、山の斜面に造成された曲輪と呼ばれる平坦部がいくつも確認されているところです。(財)神奈川県公園協会・市文化財保護課・博物館が合同調査体制を作り、ボランティアと協働する初めての試みでした。標高の変化を20㎝間隔で捉え等高線図を描いていくのは大変骨の折れる作業でしたが、ボランティアのメンバーが研修の成果を存分に発揮し、今年度の調査を予定どおり完了することができました。今回の成果については、来年3月から始まる考古分野の企画展等で紹介する予定です(考古担当 河本雅人)。

 

津久井城測量調査の研修会(平成22年12月)

研修会風景1
NIKON D70s (18mm, f/9, 1/80 sec, ISO0)
研修会風景1

 11月29日(月)から12月10日(金)まで津久井城跡の地形測量調査が実施されました。調査は、(財)神奈川県公園協会・市文化財保護課・博物館による合同体制で、調査のために集まったボランティアとともに行いました。

研修会風景2
NIKON D70s (56mm, f/8, 1/60 sec, ISO0)
研修会風景2

 この調査に先立ち、11月16~18日の3日間でボランティアとともに地形測量の実地研修会を津久井城跡近くのゴルフ場跡地で実施しました。地形測量では、平板やレベルといった測量器材を使用しますが、まずこれらの扱い方からはじまり、地形の高低差を算出する方法なども学びました。当然ですがまったく触れたことのない測量器材や計算式に多くの参加者が戸惑っていましたが、最終的には実際に等高線図を作成するところまで到達することができました。

研修会風景3
NIKON D70s (18mm, f/9, 1/100 sec, ISO0)
研修会風景3

 冷え込みが厳しく雨の降る日もありましたが、全員が真剣な眼差しで意欲的に学んでいる姿が非常に印象的でした。もちろんわずか3日間の研修で全ての知識や技術をマスターすることはできません。むしろ本番の調査の中で学ぶことのほうが大きいと思います。今回の調査は、等高線図を作成することだけが目的ではありません。地域の歴史を市民自らの手によって明らかにする学びの機会として位置づけようとしています。3日間の研修会はこの目標に向かって多くの人が手ごたえを感じることのできた有意義な時間であったと思います(考古担当:河本雅人)。

 

考古学講座「相模川沿いの遺跡を歩く」を開催しました(平成22年11月)

まとめ学習の様子
FinePix F30 (8mm, f/2.8, 1/105 sec, ISO800)
まとめ学習の様子

 10~11月は考古学講座を開催しました。今回の講座は相模川とその支流に点在する遺跡に注目し、事前学習と遺跡探訪を実施し、最後にまとめ学習をしました。

川尻遺跡(10/24)
FinePix F30 (10.4mm, f/3.2, 1/250 sec, ISO200)
川尻遺跡(10/24)

 今回歩いた遺跡探訪のコースは、緑区三ヶ木~寸沢嵐周辺(10/10)、緑区谷ヶ原~小倉周辺(10/24)、南区新戸~下溝周辺(11/14)の3ヶ所で、これらは事前にボランティアグループ相模原縄文研究会のメンバーと検討と下見を重ねてきたコースです(考古の窓7月をご参照下さい)。寸沢嵐遺跡、川尻遺跡、勝坂遺跡などの国指定史跡のほか、県立津久井高校内で発見された数少ない弥生時代遺跡として知られる三ヶ木遺跡や、新小倉橋の建設に伴って調査された川尻中村遺跡・原東遺跡などを訪れました。

勝坂遺跡(11/14)
FinePix F30 (8mm, f/4, 1/340 sec, ISO100)
勝坂遺跡(11/14)

 台風14号の接近に伴い、急遽、遺跡探訪が延期になるなどアクシデントもありましたが、無事全てのコースを踏破することができました。今後も考古学講座を、連綿と続いてきた郷土の先人の暮らしを再確認し、私たちのくらしの成り立ちを知る機会として続けていきたいと思います(考古担当:河本雅人)。

 

発掘体験事業で学んだ子どもたちの展示(平成22年10月)

史跡勝坂遺跡公園の見学
Canon EOS Kiss X2 (24mm, f/10, 1/200 sec, ISO200)
史跡勝坂遺跡公園の見学
発掘体験の様子
Canon EOS Kiss X2 (46mm, f/6.3, 1/200 sec, ISO400)
発掘体験の様子

 8月に中央大学と共同で大日野原遺跡の発掘調査を実施しましたが(8月の「考古の窓」をご覧下さい)、調査期間中、藤野中央公民館との共催で、地元の小学校5、6年生を対象とした発掘体験事業を実施しました。事業は中央大学や市文化財保護課の協力のもと全5回のプログラムで実施し、現地での発掘体験だけではなく、縄文時代や発掘のことを知るための学習会や、遺物の整理作業、史跡勝坂遺跡公園の見学など、さまざまなプログラムを通じ、考古学や郷土の歴史についてより深く学べる機会としました。

展示の様子(藤野中央公民館にて)
NIKON D80 (18mm, f/8, 1/125 sec, ISO400)
展示の様子(藤野中央公民館にて)

 8月27日(金)の事業最終日は学習成果のまとめとして、藤野中央公民館の交流スペースで、子どもたちが出土品や写真パネルの展示を行いました。また、自分たちでとった土器の拓本(土器の文様を紙の上に墨で写し取ったもの)や、毎回付けていた日記なども展示しました。藤野中央公民館での展示は9月末日までで、これまでに多くの方々にご覧いただきましたが、10月3日(日)からは博物館の特別展示室で展示しています。(考古担当:河本雅人)

 

大日野原遺跡(緑区澤井)の発掘調査(平成22年8月)

発掘作業風景
発掘作業風景
土器発掘の様子
土器発掘の様子

 8月2日(月)から13日(金)にかけて、緑区澤井の大日野原遺跡で発掘調査を実施しました。中央大学(小林謙一准教授)との共同学術調査で、今年で3年次目の調査になります。学生と博物館ボランティアを中心とした30名以上が調査に参加し、炎天下の過酷な状況の中で、およそ5,000年前の縄文時代中期の竪穴住居跡の調査に奮闘しました。昨年の段階で6軒以上の竪穴住居跡が存在すると推定されていましたが、今年はそのうちの3軒を中心に調査を進め、縄文土器の完形品を含む多数の遺物を検出しました。

 

発掘現場見学会(平成22年8月8日開催)
発掘現場見学会(平成22年8月8日開催)

 調査期間中の6日(金)には地元の小学生が参加して発掘体験が行なわれ、また、8日(日)の現地説明会には約50名の方々にご参加いただきました。

発掘現場見学会(平成22年8月8日開催)  多くの方々に支えられ、今年も大日野原遺跡の発掘調査を無事終了することができました。来年度以降も検出した竪穴住居跡の調査を継続し、縄文集落の実像に迫る研究を進めていきたいと思います。(考古担当:河本雅人)

 

遺跡探訪ルートの検討(平成22年7月)

90-01 kouko220701 DMC-LZ10 (5.2mm, f/5.6, 1/640 sec, ISO200)
 秋に実施する考古学講座では相模川沿いに分布する遺跡を訪ね歩く予定です。同じ相模川流域でも下流域の相模野台地側と上流域の山地部側では、出土する考古資料に地域色が見られます。一方で、相模川は台地と山地を結ぶ人々の交流ルートとして重要な役割を果たしていたものと思われます。今年度の講座はそのような相模川に結ばれた人々のくらしを知る機会として、現在、準備を進めています。

史跡田名向原遺跡公園
DMC-LZ10 (5.2mm, f/5.6, 1/400 sec, ISO200)
史跡田名向原遺跡公園
川尻遺跡
DMC-LZ10 (5.2mm, f/5.6, 1/500 sec, ISO200)
川尻遺跡

 6~7月は探訪コースを検討するためボランティアグループ「相模原縄文研究会」のメンバーとともに緑区三ヶ木~寸沢嵐周辺、緑区谷ヶ原~向原周辺、南区新戸~下溝周辺、南区当麻~中央区田名塩田周辺の4ヶ所を歩きました。発掘調査された遺跡の多くは、住宅地や道路などに変貌し、遠い過去にさかのぼる人々の暮らしが、かつてその場所にあったことなど忘れてしまいそうです。ところが、住宅地の合間に残ったわずかな畑地や空地で縄文土器のかけらなどを見つけると、確かに人々の暮らしがそこにあったのだという実感が湧いてきます。そして、数千年の時間を飛び越えて、過去と現在が一体となったような感覚を味わうことができます。(考古担当:河本雅人)